まる子とまる子?

年末が近づいて、ホームセンターの店先には正月飾りが並んでいる。正月飾りは、地方によっていろいろな形があるようだ。私の実家では、暮れになると父が松の枝を二本切ってきて、子供たちが縁起ものの飾りつけをする。終わると、神棚に対にして飾った。

しめ飾りには、年神様をお迎えするという意味が込められているそうだ。コロナ禍でさっぱり気分は上がらないが、せめてしめ飾りはつけようと買い求めた。店の奥へ入って行くとペット売場がある。その前で足が止まり、眼をみはった。

あっ、まる子だ、と一瞬そう思ったからだ。だが、まる子がいるわけがない。でもあまりによく似ているので、ついつい見入ってしまい、写真をとらせてもらった。猫種は、スコティッシュフォールド。耳が垂れていない種類だという。

こっちが古墳の丘のまる子。額の感じとか、縞模様の入り具合とかは少しちがうが、体形のぽっちゃりしたところとか、顔の丸みとかがよく似ている。だとすると、まる子もスコティッシュの一種かな?

世の中には自分とそっくりな人が、少なくとも二人はいるという話を聞いたことがある。でもきっと会うこともなければ、その人生もまるでちがうだろう。丘の上のまる子と、ペット売場にいたそっくりな猫もまた、まるでちがう猫生だ。

同じ部屋に、グレイの子もいた。まる子と似ている猫と仲良しみたいで、一緒によく遊んでいる。この猫はおっとりとしていて、全体にぼんやりとかすんでみえる感じが、なにか癒される。

売場の方と話をしていたら、この猫たち、明日にはもう他の店に移動するのだそうだ。ここにくる前は、焼津の店だったとか。今度こそは、きっと、どうか、この猫たちが優しい飼い主さんに巡り会えますように、と祈らずにはいられなかった。

今日はわりあいに風もなく丘の上も平穏で、いつものようにチビまる子に餌をやりながら、夕暮れの富士をみていると、またあの猫たちのことが思い起こされた。かたわらでは、食べ終わったまる子がチビにちょっかいを出し始めた。

寝技が得意のまる子に、技あり! チビは親をたてているのか、それとも自信がないのか、逆らうことはなく、まる子にされるがままだ。

コロナの感染はとどまることもないが、クリスマスや正月はちゃんとやってきて、そういう行事みたいなものがあると、暮らしにも区切りがついて少しほっとする。

お正月には凧あげて~♫・・・。子供のころには、そんなふうに期待したものでした。子供なりにいろいろ辛い事はあっても、クリスマスや正月は一大イベントで、楽しい期待に満ち溢れていた。だけど今は、三毛子が破いた障子をこれから張り替えなくてはと焦っているところです。

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