気づかないうちに咲く。

西側の雨戸をあけたら、窓の下にある可憐な白い花が眼に入った。
まだ早朝の、ひんやりとした大気の中でひっそりと咲いていた。
あれ、こんなところに花あったかな?
そう思って外に出てみると、これがくちなしの花だった。

【蕾は、手の込んだ和菓子のようにみえる。】

なんでこんなところに? この木、植えた覚えがないんだけど。
でもよく思い出してみると、去年もその前の年も、なにやら、妙な葉っぱを出している小さな木をみかけて、根元近くにハサミを入れた記憶がある。
花がつくとも知らず、何度ハサミを入れてもまた伸びてくる嫌な木だな。そう思っていた。
なのに、こんな清楚な花がつくなんて。

ほったらかしにしていたのがよかったのだろう。気づいていたら、また切ってしまっていただろうから。
これまでずっと、気づかないうちに、こんなふうに美しく咲くはずの花の命を絶っていたことになる。

人って、気づかないままに残酷なことをしていたり、言葉にしていることがある。
気づかないうちに、何かが始まっていたり、何かが終わったりしていることもある。
そしてそのことに、ある日、突然に気づいてびっくりする。
いったい自分はなにを見ていたんだろうと。

【雑草の花も、飾るときれい。】

こんなはずではなかったと思うときにはすでにもう、取り返しがつかないことになっていることもあって、後悔の底なし沼に陥る。

けれども、あるときふいに気づいた。自分の人生はなんだったんだろうと思うようなとき、こんなんだったんだよ、と思えばいいじゃないか、ということに。

今、こうしてあること、それが自分。こんなんでもあんなんでもいいんだよ。これが自分。
そうすれば、もういろいろ考えてもしゃあないよ、と受け止められるようになる。

底なし沼に足を取られて喘いでいるときにも、上を向けば空があるはず。
喘ぎながらも、必死に生きていれば、抜け出す方法がみつかるはず。
空に向かって、きっと花は咲く。

そういえば、けさ、ミーナとの距離がまた少し近づいていることに気づいた。
このところ寝不足が続いていて、朝の片付けがおわったあとベッドに横になると、ミーナがそばにやってきて、コロリ。
これまでは、一緒に横になろうとすると、逃げてどこかへ行ってしまっていたミーナ。
それがけさは、ちゃんと横にきて、そして、あったかい体を私の腹にくっつけてくれた。

ミーナを保護するのに数カ月かかり、保護してからも指を触れるのに半年かかり、スリスリしてくれるのには一年近くかかり、三歩進んでは二歩戻るという繰り返しだった。
そして二年あまりがたち、ようやく添い寝ができるようになったというわけだ。

【超ヨガのポーズ】

諦めかけて投げやりになりそうなときもあったけれど、思い直し、思い直し、進んできた。
咲こうとしている花を、切らずにすんでよかったな。

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