時を駆けるBABA

太陽に手を伸ばしている感じ。(恋人の聖地) 

昨日、11日の天気は曇り。おでかけ日和とはいかなかったが、なんとなく心がざわついて、ふいに海がみたくなった。
時間はすでに午後の二時。迷ったけれど、やっぱり行くことにして家を出た。
わりと近くの海にはよくでかけるが、灯台がある御前崎にはまだ行ったことがなく、初めての海に期待はMAXに。

その期待がお天道様に通じたか、しだいに雲が切れて晴れ間が広がってきた。

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平日の海にはほとんど人影がなく、駐車場にもツーリングで立ち寄った様子のバイクが数台あるだけで、バイクの横では男たちがたむろし、てんでにスマホをみていた。

海沿いの道を横切るとすぐに海辺に出られる。テトラポットのない海はまるごと自然のままで、潮の匂いが濃い。なので、波打ち際まで行って思いきり潮の匂いを吸い込んだ。

そのまま波打ち際でぼんやりと潮の満ち干を眺めていると、はるか昔、自分にも少女の時代があって、その頃にもこうしてぼんやりと海を眺めていたなあという記憶が蘇った。

いろいろあって、やけっぱちになって、高三の秋ごろからはよく授業をさぼっては海まで行っていた。
繰り返し、波が岩にぶつかっては散る。時の繰り返しのようにも思えるような情景を眺めていると、海沿いの食堂のおばさんが自殺者とまちがえて交番に連絡し、ひと騒ぎ。

そんな少女の時代から、今、また海を眺めている自分は、ひとっとびで時の波をかぶって、すでに大半は後ろに駆け抜けてしまっている。

「時をかける少女」は、筒井康孝のSF小説。映画にもなり、原田知世の主演で話題になったものだ。そうすると今の自分は、時を駆けたBABA、というところか。笑いがこみあげてきた。

ツーリングの男たちが出発するらしく、轟音が響いてバイクが立ち去った。
そういえば、上京してからの初めてのデートは、バイクの後ろだったんだよなあ。帰りは雨に降られて、私の新しいシャツの背中は泥だらけだった。

などと、後ろに去っていた時間は、波の渦のように回り始めて止まらなくなる。
なので立ち上がり、小高い山の丘の上にある灯台を目指した。

灯台の中にも入れると聞き、82段の螺旋階段を眼が回りそうになりながら登って行くと、大きな2面レンズが上に。
それを回す歯車は昼夜を問わず回っているというわけで、光は10秒ごとに一回、36キロも届いて暗い海を照らすんだそうな。
優しい光よ、届け、このBABAにも。という気持でしばし見上げてました。

そして、もう一つのお目当ては、ねこ塚とねずみ塚。
ねこ塚の由来は、寺の住職さんが助けてやった猫が、人間に化けた大ねずみに住職さんが襲われていたのを命を捨てて助けたところから、村人たちが祀ってやったという話。
一方、ねずみのほうは悪いことをしたので打ち捨てられていたのを気の毒に思った人が祀ったとされるもの。

ようやく探し当てたねこ塚は、かなり期待外れだったのですが、まあ、猫好きとしては勘弁してあげましょうということにして帰途に。

ミーナはたぶん待ちくたびれて寝ているかな。
灯台は暗い海に光を射すのに、自分の足許は照らせないんだよな。
そんなことを考えながら、帰りはまっしぐら。待っている者がいるというのはいいものだな。
暗くなった道を照らす一筋の光かもしれません。

今日もミーナは、外の見張りを欠かしません。

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