小さな食卓

【蓮の花が咲き始めました。】

気持が煮詰まってくると、やたらといろんなものを処分したくなる。
昔からそうだ。

【昨日の雨の水が溜まっている。葉脈が透けてみえる。】

それが定期的にやってくるものだから、そのたびに家の中のものがなくなる。
少し前には、長年使い込み、愛着のあったソファや玄関の大きな下駄箱などだ。
そしてつい最近では、大阪にいるときに買い求めた大きな食卓。

夫婦二人の食卓にしてはずいぶんと大きなものだったが、どうしてそんなに大きなものを買ってしまったかというと、親戚が多いもので、誰かが訪ねてきたときにでも、食卓を囲んで賑やかにやろうと考えたからだ。

けれどもきょうだいも親戚も、みな遠いところに住んでいたから、おいそれと訪ねてきたりはしない。
せめて息子の家族でもきてくれるだろうかと思っていたが、仕事が忙しいの一点張りの彼は、なにか用事かあって訪ねてきたとしても、ほんの数時間で帰ってしまい、ゆっくりとご飯を一緒に食べたり、酒を飲んだりして、互いの近況を話しあうなどということもないままに時ばかりが過ぎた。

そして大阪から静岡に引っ越してきて数年がたち、あまりに大きすぎる食卓は夫婦二人の距離まで遠ざけていると感じるようになった。
それでいっそ処分することにして、こぶりのテーブルにした。
すると、不思議なことに、そこに並ぶ料理がわりあい豊かに感じられるようになった。

たいして料理の品数がふえたわけでもない。大きな食卓だと面積が広いぶん、なんだか貧相にみえていたのが、小さな食卓に替えてからは、同じものを並べても、けっこう品数があるようにみえてくるから面白い。

そしてふと気がついた。
小さなテーブルだと同じものを並べても豊かにみえるというようなことが、他にもけっこうあるんじゃないかということに。

【チュール、もっとほしいなあ】

大きな下駄箱を処分したときにも、玄関には朝日が入るようになり、気持ちよく朝が迎えられるようになった。
そういうことが暮らしのヒントになり、つぎからつぎへと手を出して、毎日、あれこれと考えを巡らしながら効率よく暮らせる方法を考えている。

【ミーナはピンポン玉が大好き】

それで出てくる不要なガラクタ。それらを処分するのもけっこうめんどくさいから、中古品の買い取り店に行き、待っていると、同じくらいの年代の御夫婦が隣りにすわって貴金属を売っていた。
今は金の値段が相当にあがっているせいか、貴金属はかなりの金額になった様子。

なのに、これでは少な過ぎるのではないかと店員に苦情をもらしていた。
こちらはガラクタばかりだからほんの微々たるものだが、処分する手間が省けてすっきり。

【ミーナは、日に数えきれないくらいに階段を上り下りする。】

価値というものは、当然のことだけれど、人によってちがうものだ。
ガラクタを処分したついでに、もしかしたら、という気持のままに残っていた服や靴、着物なども処分。
家の中は広くなり、なにがどこにあるのか一目でわかるようになって快適そのもの。

簡単な運動なら居間にいてもできるようになり、ミーナの動きもより活発になった。でも、ついていくのはくたびれるう!
小さな食卓は、あてのない期待にけじめをつけるきっかけになり、新しい心持で暮らす食卓となった。

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