三猫world

家の数だけ、幸せと不幸せがあるんだろうなあと感じるような、雨上がりの町並み。遠くに、富士がかすかにみえる。海に向かって広がる家並みの、その一つにいる三毛子は、探検大好きな女子猫。

なんにでも顔を突っ込み、なんでも試してみようとする。ゴミ箱に顔を突っ込んでは倒し、戸棚のドアは器用にあけて中にある物を引っ張り出し、家の中にいないと思って探し回ると、隣りの家の屋根に乗り移っていたり、風呂に湯を入れていると不思議そうに覗き込んだり・・・。つぎからつぎへとなにかしでかす。なので、飽きない。が、くたびれる。

長いものを見れば、さっそく飛んでいき、隙間があればするりと入る。ここかと思えばあちら。瞬間移動の達人。そうかと思うと、いつのまにかベッドの上で大の字に寝ている。

そして、まる子はあれだけ山暮らしが長かったのに、いっさい外に出たがらないという。むしろ、ベランダに出るのさえ怖がっているようだ。山に戻されるのではないかという恐怖があるのかもしれない。

古墳の丘に捨てられる前は、外に出ない家猫だったんじゃないかな、と里親さん。壁紙をバリバリすることもなく、甘えん坊だけど、おとなしいということ。だとすれば、家の中からいきなりあんな山の中に捨てられて、その不安はどれほどのものだったたろうか。いったいまる子を捨てたやつはどんなやつなんだ、と思うが、こうして今は幸せになれたのだから、苦労は報われたのだ。

坂道をおりてくるときにあとをついてきて、途中で諦め、見送る顔

坂道で別れるときのこの顔をみるとき、今のまる子がどれだけ幸せかということがわかる。安心して眠れ、甘え、リラックスできる。驚いたことはそれだけではない。あれほど餌をねだっているようにみえたのに、今は量を控えてもそれほど欲しがらないのだという。

あれは寂しさのストレスからきていたのか、ただ甘えようとしていただけなのか。甘えたくてすりよってくるまる子をみて、みんなは餌をねだっていると勘違いしていたのかもしれない。

そのせいか、里親さんの家での写真をみると少し痩せたようだ。今になって、丘の上にいたときの写真をみると、おそろしいほどに肥満していたのがいまさらのようにわかる。追いすがるように見つめる視線を背中に感じながら、坂道を降りるときの気持は今思いだしても辛い。たぶん、まる子にも私たちにも、限界だったのだろう。

チビもチュールは大好き。まる子がいるときには横取りされていた。

残されたチビは、確かに、みんなが言うように寂しそうだ。だが、思ったよりもサバサバしているようにもみえる。チュールだって、まる子に横取りされずにゆっくり食べられる。きょうはまたどしゃぶりで、名前を呼ぶと返事をしながら出てきて、餌をたくさん食べた。そうして、傘の中で毛繕いをし、雨があがったのをみて、しきりに、飛ぶツバメを待ち構えてはジャンプ。いくらチビがすばしこいとはいえ、ツバメだってそれ以上のスピードでひらりとかわす。夢中で遊んでいるのをみて帰ってきた。

まる子がいなくなった直後は、その姿を探していたのだが、数日たつと諦めたのか、不思議なくらいにそういうこともなくなった。

みんなが思っているほどには寂しくはないのかもしれないと思うそばから、もしかしたら、本当は、そう見える何倍もの寂しさを感じているのかもしれないとも思う。けれども、まる子との別れを乗り越えたような感じがする。えらいぞ、チビ、とほめてやると、応えるように長い尾を振る。

まるで親子のような花

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