猫と誰かが教えてくれたこと。

素敵な庭造りをするIさんの作品。紙でつくったというバラも、さすがに眼が深い。

先日、地区の公民館の掃除に行ったときのこと。ときどきこのブログにも載せている素敵な庭の主、Iさんとひさしぶりに会い、このバラの写真を頂いた。日々、花と接している人の眼はさすがだなあと思いながら眺め、誰かと話をしながら楽しくやる掃除は悪くないよなと思った。

町内の行事とかイベントとか、そういうものはあまり好きではなかったのだが、先日の掃除は楽しかった。えっ、なんで、と思うに、つまりお喋りをしていて楽しい人たちがいたということで、こういう雰囲気なら掃除もイベントもいいなあと感じたのだ。

隣りの庭のキンモクセイ

待てよ、でもこんなふうに感じられるようになったのはいつごろからだっけ? 昔はアレルギー反応を起こすほど重荷に感じていたのに。これも猫たちのおかげでいろんな人たちと話すようになったから? それとも、年を取ってさすがに丸みが出てきたせいかい? などと考えているうちに、古墳の丘に通い出したころに出会った人たちや、最近、話をするようになった人たちのことなどの顔が浮かんできた。

草刈りが終わって広々とした古墳の丘

チビまる子のことで、喧嘩ごしになった人たち。役所への訴えで、親切に接してくれた人。それとなく猫たちを遠くから見守ってくれていた人。会えば冗談をかわす人。どんな人からも学ぶことがあった。

痩せ細った母猫と子猫が古墳へと続く坂道でじゃれあっていたのをみてから5年と数ヶ月。餌やりに通い始めたころは、家にも25歳になろうとする老猫がいて、手がかかっていた。認知症に病気が重なって、私の姿がみえないと鳴き叫ぶようになっていて眼が離せず、もうこの猫を見送ったら猫に関わるのはやめようと決めていたはずだった。

ある日の母と子

なのに、どうしても、古墳のところに捨てられた親子猫に眼をつむることができず、それからずっとその猫たちに関わってきた毎日。そのあいだ、この猫たちを守らなくてはという思いに突き動かされて、これまでは絶対にしなかったようなこともするようになり、猫つながりでできた関わりも生まれた。

飼ってやりたいと考えるたびに、自分の年齢や夫の持病を考え、決断することができなかった。それで、飼ってくれる里親を探していたが、二匹一緒となると、なかなかうまくいかなかった。

それでもようやく今年の5月、まる子を引き取ってくれる人が現れ、まる子はしあわせに。さらには、チビを引き取ってくれる人もできた。なのに、チビにはさっぱりこちらの意思は伝わらず、あいかわらず居場所をくるくると変え、保護がうまくいかない。

私のそばでリラックスしたり、ひょうきんな恰好で寝転がったりしていた姿が嘘のように思えてくる。猫に対する嫌がらせもあり、急がなくてはという思いとはうらはらに、いっそう保護が難しくなってくる。

捕獲カゴというのがあるが、人の眼の届かないところで、もしも妙な人にカゴごとチビが持って行かれ、近くの、深い山中にでも放られたらと考えると、怖ろしい。そのまま餓死してしまうだろう。それを考えるとできない。

今、古墳の丘は草刈りが終わって、広々としている。餌を食べ終わったあと、ここで遊んでいたチビとまる子の姿はなく、通りかかっては話をしてくれた人々との関わりも少なくなった。

自分が猫たちを世話しているのだと思っていたのだけれど、むしろ、猫たちから受ける恩恵のほうが大きかったことに気づいた。歩くこともままならないこともあった股関節の痛みは、毎日の坂道の上り下りでさらに悪くなるかと思っていたら、いつのまにか消えていたし、引っ込み思案であまり人とのつきあいも好きではなかった性格も克服できたように思う。

帽子の上の三毛子

三毛子を保護するときも難しかったし、はたして保護してよかったのかと思うこともあったが、こうして眠っている姿をみると、やはりチビにも安心して眠ってほしいという思いが強くなっている。(三毛子の里親修行はなかなか進んでいないが)

公園を、拾ってくれた人と一緒にさまよっていたチビ黒三兄弟の里親もほぼ決まったようで、そちらはほっとしている。シンくんとリョウくんは同じところに引き取られ、カイくんも無事に決まったようだ。

よかったこと、ままならないことが交錯する毎日。なにも見返りを求めずに動くことは難しいが、見返りのことなど考えるまもなく夢中で行動していると、不思議にだいじなものがついてくる気がする。

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