雪は降る、あなたはこない。

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 アダモという人が、ずいぶん前に歌った曲。
山形に住んでいたころ、雪かきをしながら、この歌を思いだしては歌っていた。

  雪は降る   あなたはこない
  雪は降る   重い心に  むなしい夢  白い涙
  鳥は遊ぶ   夜はふける  
  あなたはこない いくら呼んでも
  白い雪がただ降るばかり

今年もまた寒波がやってきて、連日、雪のニュースが伝えられている。
その光景をみていると、山形の雪深い土地にすんでいたころの、雪掻きに追われた記憶が蘇ってくる。

雪は、毎日、暗く重い空からきりもなく落ちてくる。
そんな空をみあげては、溜息をつきながら雪片付けをしていると、なぜかこの歌が出てきた。
そばで、山形に移り住んでまもなくに保護をした猫たちが遊んでいてくれるのが救いだった。

猫はコタツで、ではない猫たち

あなたはこない、いくら呼んでも。
私にとってのあなたというのは、歌のような恋人ではなく、春、日差し、そして移住する前に親しくしていた友人たち。

けれど、現実には、雪はただ降るばかりで、水墨画の風景は数カ月も続く。
屋根から落ちた雪、下から積みあがっていく雪。
片付けても片付けてもまた降り続く雪との格闘に追われていた。

夜になると、ゴウーッという音とともに、屋根の雪が滑り落ちる音が響く。
朝方には、裏の雑木林の木々が悲鳴のような音を立てる。
「凍裂」という。
文字通り、樹液が凍って膨らみ、木が裂けるのだ。

そうして、まだ暗いうちから、地を這うような除雪車の音が近づいてくる。
その音が聞こえてきたらすぐに起きて、除雪された雪が車庫や家の前をふさぎ、盛り上がっているのを片づける。

放っておくと、重機で押し固められた雪は凍りつき、手に負えなくなってしまうからだ。
連日の雪で、足も腰も腕も、寒さと疲労でよく動かない。
それでも人々は、降りしきる雪の中、たがいに霞むその姿を横目に見ながら、灰色の影となって動いている。

ひと遊びしたあとは、あったかい家のなかで雪掻きをする私を眺める猫たち

山形に10年住んでから大阪に移り住み、そうして今は静岡に住むようになって、冬になるたびに、こんなに楽でいいのかなあと思う。

そして、ふと思うのです。
無駄な苦労はないんだなあと。

広い庭に憧れて住んだものの、雪が降り積もると、その片付けはとんでもないことになってしまったのですが、まず一歩、ザクっと雪を掻いて、そこから始める作業は、なんにでも通じることを。

今でも、途方もなく難儀な作業にとりかかるときには、雪かきの、まずひと掻きをを思いだして始めることにしているんです。
あんなに大量の雪でも、一掻きから初めて、そうして一歩ずつ進んで行けば道はできたんだからと。

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