団塊世代の憂鬱

高齢者がスーパーの割引セールに群がっているというニュースや、どこぞのコメンティーターが、「高齢者は集団自決したほうがいい」と言ったという報道がされる。

団塊世代が高齢者になってから、高齢者への風当たりが強くなっている。
たしかに、この世代の人口は今の少子化に比べれば、半端なく多い。

年金暮らしの高齢者は働かずにのんびりとしているイメージに思われがち。
だけど、本当にこの国の高齢者はそうなのかしら。


団塊世代が現役のときは、社会のモラルはとても低かった。
パワハラ、モラハラ、セクハラ、横行しまくった。
だいいち、巷にはそんな言葉すら存在しなかった。

土曜日も完全に休みではなく、残業も半端なかった。
それでも、今みたいに過労死などという認定もされにくく、かなりハードな働き方をしてきた世代なんです。

生まれたときから過当競争のまっただ中に置かれ、小学校に入った時から、生徒も机も教室にギュウギュウで、受験をするにせよ、就職するにせよ、どこに行っても何をするにも何倍もの競争に明け暮れ、椅子取り競争に追い込まれた世代。


そうやって自分の暮しと上の世代を支えてきて、そんな時代を生き抜いて、ようやくほっとしていると、今度は世代の人数が多いために、年金額や医療費がとんでもない額になるからといわれ、厄介者扱い。
なにかと、やり玉にあげられる。

社会の役に立たない年寄りから搾り取って、将来を担う子供たちに回そうという考えは、確かに、若葉のために古い葉っぱは落ちてもらういう道理からきているのでしょう。
でも、それって、なにか、違うんじゃないのかしら。
何よりも、建設的じゃない。


少子化社会の原因の一つは、独り立ちせず、いつまでも親の許でくらしている子供世代が多いこともあるんじゃないかと思うんですが、そのことを誰も言わないのはなぜでしょう。

高齢者の医療費や年金を削って子供手当に回すという発想をするよりも、結婚したくなる社会にしていくことのほうが、時間はかかっても効果はあるんじゃないのかな?
消費税をあげるほうが公平だと思うけれど。

団塊世代は、古い考えから解き放たれないまま、新しいものが波のように押し寄せてきて、猛スピードで変化していく時代に身を置いてきた人々。

学生運動とかデモに参加して大きな波に必死に抗おうとしていたはずなのに、いつのまにか、自分たちにまた大きな波が寄せてきているのに、なにを言われても物言わぬ世代になっている。


自分たちが子供だった頃には、外にはいつも、誰か、子供たちの声がしていた。
賑やかな空気の中で育ったことは、今ではすっかり貴重なものとなった。

自分たちの暮しが厳しかったせいか、子供に甘すぎた人々の功と罪。
今となっては巡り巡り、自分たちに還ってきているのかもしれない。

もはや、長く生きることは苦しきことのみという感じさえしてくる。
過当競争に身を置いて、ここま出たどり着いた末の現実。
それでも、なにか一つでも、望みを持てるように生きましょうか。

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