谷村新司さん、ありがとう。
なにかしているときに、なにげなく口ずさんでいる曲がある。
とくに心に刺さったフレーズは、落ち込んだときなどによく沁みる。
けっこう落ち込みやすい私は、よく歌に助けられてきた。
なぜか若いときには、村田英雄の曲が好きで、めげているときには大きな声で「やると思えばどこまでやるさ」と歌い、まわりから怪訝な顔で見られたものでした。
中島みゆきやユーミンにも惹かれ、彼女たちの独特な節回しや歌詞に共感しては酔いしれていた。
浜田省吾や村下孝蔵の曲には、もう狂っているというほどに傾倒し、そうして、あるころから、「アリス」というグループに魅入られていた。
とくに、チャンピオンという曲が好き。
ダイナミックで、しかも試合に敗れてリングを去るものの哀しさがある。
いつかはこんなふうに、自分もなにか、自分の大切なものから退いてしまう日がくるんだろうなあと思いつつ。
そして、極めつけは、「遠くで汽笛を聞きながら」だった。
とても好きなこの部分には、耳をそばだてて聞き入った。
「自分の言葉に嘘はつくまい
人を裏切るまい
生きてゆきたい 遠くで汽笛を聞きながら
なにもいいことがなかったこの街で」
※谷村新司「遠くで汽笛をききながら 三番」から引用
山形から、大阪に引っ越すときには、「なにもいいことがなかったこの街で~」と何度も低く口ずさんでいた。
今、思えば、そうはいっても、いいことだってたくさんあったのに、あのときは失ったものの大きさに悲嘆するばかりで、悪いことにしか眼がいかなくなっていたんだろうね。
幸せになるも、不幸せになるも、結局は自分の眼がどこに向いているかということだろうと、今なら思えるけれど、若いときには、物事の悪い部分に眼が行きがちだった。
誰かが言ってたっけ。
歳をとると失うことばかりだけれど、でもたった一つ、むしろ、よくなることがあるんだと。
それは、心が成熟していくことだそうだ。
そう言われれば、たしかにそうだ。
誰かに負けたくないとか、人はこうでなければならないとか、そういった思い込みがなくなってくる。
だから、なんだか、自分にも他人にも寛大になってくる。
たいしたことができない自分の力に情けなさを感じても、「しゃあないじゃん、これでも、まあまあでしょ」と諦められる。
きのうは、古墳の丘にのぼり、頭に雪をかぶった富士や深く澄んだ空を眺めることができた。
あなたの歌から、いつも愛をもらいました。
人生の背景にいつもあったあなたの歌を、忘れることはないでしょう。