近くのスーパーに入ると、入り口あたりの野菜売り場で、半分の大根と一本の大根を前に、値段を見ながら迷っている様子の70代くらいの女性がいた。
「半分の値段を倍にすると、一本の値段よりも高くなる。どうしてかしらね、半分の値段でいいのにね。あなた、そう思わない?」」
彼女にたずねられた私は、「キャベツでもそう、なんでも、半分のほうが割高ですよね」答えた。
そういう私の顔をみながら、なおも、彼女は「しかもたいてい、しっぽのほうだけ残ってる」と、言う。
急いでいた私は、お先に、と言って鮮魚売り場へと向かった。
すると、めずらしく生食用の牡蠣が特売になっていたので、見ていると、またその人がやってきて、牡蠣ねえ、いいわねえと言う。
「このパック、いくつくらい入ってるのかなあ」
彼女はまた、私の顔を見ながら言うので、私はついパックを持ち上げて数えてみた。
「まあ、二人ぶんには足らないけど、一人なら多いくらいかな」
するとその人は、「じゃあ、私はやめとくわ。一人だからさ、ほんの少しでいいから。トシだしね」と言いながら、肉売り場の方へと歩きだす。
結局私も牡蠣はやめて、肉売り場へと向かう。
すると肉売り場でも、また同じような会話になり、つぎの売り場でも顔を合わせて、そのたびに、話はどんどん拡がっていく。
彼女は一人暮らしでこのスーパーのすぐ近くに住んでいるのだという。
そして、夫をだいぶ前に亡くして、離れたところに息子たちが暮らしているのだそうだ。
一人は結婚していて、もう一人はまだ独身。
「さびしい暮らしだよう、一人ってのは」
彼女が不安げに言うので、「でも、息子さんたち、ときどきは帰ってこられるんでしょ?」
と、ありきたりなことを言うと、彼女は、「とんでもない、ちっともこないですよ。もう何年も会っていない」と言いながらレジに並んだ。
私は先にレジをすませて、外に出た。
車に乗ると、あとから出てきた彼女は、迷っていたわりには、あまり物が入っていない袋を下げて外灯の下を歩いて行く。
会ったこともない私に身の上話を聞き、帰って一人で食事をする彼女の姿を想像し、「さびしいよう」という、彼女の言葉が胸に沁みた。
彼女が私に話しかけてきたのは、自分と同じ匂いを私に感じたからだろうか。それとも、ああして、誰彼なく話しかけているのだろうか。
道端でよく道を尋ねられたり、ときには話しかけられたりもするのはなぜ?
理由はわからないけれど、大阪にいたときにも、そんなことがよくあった。
とくに大阪は、気さくな人が多かったせいか、よく見ず知らずの人に話しかけられた。
電車に乗っているときなど、隣りの席の人から、飴玉を頂いたときも数回あった。
あるときなどは、空いている電車内で、向かいの人からパンを頂いて一緒に食べたときもある。
難波駅までその人と話しをしたのは楽しかったが、別れ際、彼女は言った。
実は自分は癌で、食後の決まった時間に薬を飲まなくてはならなかったから、電車でパンを食べたのだと。
「一人じゃ、やっぱりね」と彼女は苦笑い。というようなことも・・・。