ブリジストンという有名なタイヤメーカーの名前の由来は、創業者の名前が石橋だったからだという。
石橋は、そのまま和訳すれば、ストーンブリッジ。
語呂を考えて、ブリジストンにしたのだという。
その由来を教えてくれた人は、やはり名字が同じ石橋さんという人だった。
彼とは、中学が同じクラスで、席が隣り。
内気で、まわりになじめない少女だった私がが中学へ入ったとたんに変化したのを見て、まわりは驚いていたようだが、彼とは小学校が違ったから、過去の私のことは知らないはず。
先入観を持たれるのが嫌で、小学校が一緒だった子とは、なるべく距離をおくようにしていた。
それまでがんじがらめにされていたような気持が中学に入ったとたん、ふわあっと解き放たれた。
それでも、心の底にある内気は取り払われたわけではなく、いざというときには、からきし弱気になる。
期末テストのときにもそうだった。
テスト用紙が前から順に後ろへと回されたとき、一番後ろの席であった私のところには届かなかった。
きっと教師が枚数をまちがえたのだろう。
手を挙げて用紙が足りませんと言えばすむものを、私はまごまごしてしまった。
そのうちに「始め!」という教師の声。
まずいよ、早く言わなきゃ。
そう思い、立ち上がろうとしたその時だった。
隣りの席の石橋くんが、さっと自分の分を私によこして席を立ち、教師のもとへ行き、テスト用紙を貰って戻ってきた。
他の生徒たちは、もうすでにテスト用紙に向かい、鉛筆を走らせているときに。
ありがとう、と小声で私は彼に声をかけると、彼は笑ってうなづいた。
考えてみるに、1点でも多く、一秒でも早く、というときに、彼は自分のテスト用紙を私に譲ったのだ。
そのことをきっかけにして、女子たちから「怖い」と思われ、敬遠されていた彼と話をするようになった。
彼は確かに、怒ると椅子や机を蹴飛ばすようなことをしていたが、男子たちからは一目置かれていたような存在。
そして、なにかの時に、彼は、自分の名字と偶然同じである、ブリジストンというタイヤメーカーの名前の由来を教えてくれ、自分も技術屋になるのが夢だと話していた。
旧友から、その彼が亡くなったという連絡を貰ったのは、昨年の暮れだった。
高校は別だったし、付き合いがあったわけでもなかったが、その知らせにしばらく呆然とした。
小学校の時、クラスの誰からも親切にされたり大切にされたりすることがなかった自分にとって、あのときの石橋少年は、強くて優しいスーパーマンのように思えたものだったから。
そして、少年の特徴であった大きな瞳が浮かんできた。
どこか寂しげで、奥に、底知れない空洞があるように思えた瞳。
ひさしぶりに古墳の丘に上り、凛とした富士山を見ての帰り道、咲き始めた梅の向こうには、深くて澄んだ空が広がっていた。
私は、彼の親切に、なにも報いていない。
せめて、これからは亡くなった人たちの分まで元気に生きなくては。