世の中は桜に浮かれているというのに、このごろ雑用が重なり、家の中は散らかったまま。洗濯物も溜まっている。かさばる冬物は大きな袋に入れたままで、出した春物も整理されないままに乱雑に置いてある。
なのに、エイッと片付ける気持になれず、ズンと気持が重たくなってくるので、日暮れが近いというのに外に出た。が、これといって行くところもない。それでいつものように馴染みの猫たちがいる公園へ向かう。
あれっ、これって、なんだか、一時代前の男たちが、仕事帰りに、どっか馴染みの飲屋にでも行くか、という雰囲気にちょっと似ているんじゃないか?
そんなことを考えながら、自分には行くところといえば公園だけしかないのか、孤独なやつだと嘆きつつ、ショボショボ歩いていると、ベンチに腰掛け、スマホをみているおじさんの脇で、毛繕いをに夢中になっている 茶トラの猫に出会った。
茶トラの猫は、ぼちぼち餌やりさんがくる頃かなあ・・・なんて、待っている風情。桜の下でスマホをいじっているおじさんは、足許にいる猫の馴染みの相手なのか、どうもそんな感じだ。おじさんも手持無沙汰な様子でして。
公園の猫には、それぞれの馴染みの人がいて、餌をもらったり撫でてもらったり。きっとそんな時間が幸せな時間。厳しい冬の季節が過ぎて、ようやくポカポカしてきて、ゆるりと風も暖かく。
桜の花びらがひらひらと落ちてくるのを、ときどきチョイチョイと手でつかまえようとしたり、草むらにうごめきだした虫たちを追いかけてみたり。
ついこの間まで、植え込みの中で寒さに震えていたのに、ああ、こんないい時もあるんだよって、そんな顔を向けてくる。
そうだね、今、このときが気持よければ、それでよしとしようよ、明日は明日のことだからさ、って言ってくれてるみたいな、そんな顔。
そのすぐ近く、コーヒーショップの外のテーブルには、いつものメンバーがいて、特徴のある店主の笑い声が響いてくる。
ううん、こんな夕暮れもいい感じ。足取りも軽くなってくる。
明日もここにいてね。と茶トラの猫に話しかけても茶トラさんは知らんぷりでせっせとあいかわらず毛繕い。そうだよね、春だから、せいぜいカッコよくしてモテたいよね。
でも、今日は、馴染みの猫たち、姫にもアズキにも会えずじまい。なんだかさびしいなあ。しばらく歩いて行くと、植え込みからニャアと誘う猫撫で声。おっ、見ると、モミジだった。
モミジはここで生まれた生粋の公園猫だそうで、これでも人懐こいせいで食いっぱぐれることがない。
天真爛漫で人気者。このブサカワぶりに、みんなかえって癒されるんだって。餌をねだっているにもかかわらず、貰えないときは、哀し気な声をはりあげる演技派だ。
「この子は鏡を知らないから幸せだよね~」と言われている。失礼だと思うんだけど、納得もする。
でも、「鏡よ鏡よ、鏡さん」そう言って鏡ばかり見てヒステリーを起こしていた白雪姫の継母さんよりは、確かに何倍も何倍も幸せだよね。
なにが幸せかは、わからない。だから、幸せって、裏表。