年齢を重ねると、でかける機会が減る。
それが、今年は、お正月気分もぬけないうちにスケジュールが重なった。
傾聴ボランティアの活動や、その集まり、さらには、高齢者の運転免許にまつわる初めての認知症試験などだ。
たまたま予定が重なったそれらの場所で感じたことは、まわりの人々のキャラクターだ。
とくにボランティアの集まりでは、そのキャラクターが立ち、ずいぶん賑やかだった。
今回の参加者は女性ばかり。
新年会も兼ねていたから、さりげないおしゃれをしてきた人たちが多かった。
私も胸元に小さなパールのネックレスをつけていった。
そして、なんとなく気のあいそうな人のそばに座り、みんなの話に耳を傾けていた。
キャラクターが際立っていたのは、向かいの席の人と隣りの人。
そんな人たちの近くを選んだ私は、けっこう見る眼があるというものだ。
なぜかって、二人はとても対照的なんだけれど、まわりを和ませてくれるからだ。
向かいの席の人は、私よりもかなり若い。
なのに、つつましやかな佇まいで、服装も地味だった。
けれど、じっとしていても笑っているような顔をしていて、しらずしらずこちらも笑顔になっていた。
そして、彼女はにこにこしながら、つぶやいた。。
「こんなに笑うのはひさしぶりだわ」
なにしろ、隣りの席の人の話がおもしろかった。
話の中身はありきたりなことだったが、なんでもお笑いにしてしまう才能がある彼女のおかげで、最後まで笑い声が絶えなかった。
正月早々、こんなに笑えるなんてめでたいことね。
たぶんみんなそう思いながら、帰ったことだろう。
その翌日は免許更新のための認知症のテスト。
試験なんて受けるのはいったい何十年ぶりだろうと思い、少し緊張した。
見回すと男性がほとんどで、女性は私を含めて3人。
合格しなければ、次の運転講習には進めない。
どうも3人ほどが落ちたようで、休憩時間が終わって部屋に戻ると、空席となっていた。
合格した人は順に名前を呼ばれて実地講習に行き、残った人はビデオ講習。
私の前の席の人は、とにかく試験中からなにかぶつぶつとつぶやき、ビデオを見ているあいだにも、部屋の暖房か低すぎるだの時間がかかりすきるだのと、不満ばかり言っていた。
私を振り返り、ときおり相槌を求めてくるのだが、面倒だから無視をした。
一方、隣りの男性はいかにも紳士然としていて、ほかの人たちとは一線を引いている様子。
服装も他の人たちより垢ぬけていて、なにか、おれはおまえらとは違うんだぞという雰囲気をにじませていた。
こういう人は、たぶんベンツにでも乗って、おれさま然として走っているんだろうなあ・・・。
自分を含めて共通しているのは、高齢者になると、おのずとそのキャラクターがはっきりとしてくるということだ。
それまでの人生をどう送ってきたのかということが、立ち居振る舞いやかもしだす雰囲気に残酷なほどに浮き出てくる。
ひっきりなしにぶつぶつ言っていた前の席の人は、最後の最後まで係員にもなにか話しかけていた。
ちょっと考えればわかるようなことまでいちいち係員に言うものだから、他の人はなにか質問をしたくてもなかなかできなかった。
ううん、なんかなあ・・・。
高齢者ばかりが集まるって、ちょっと異様な感じ。
自分のこともその一員としてみると、自分もどうも、少し偏っているなあとも思うし。
一生懸命やればやるほど、強く思えば思うほど、あいかわらず空回りすることが少なくない。
なにか一つ起きるたびに、自分の意見が人と違うことを感じる。
ても、それはそれでいいんじゃないの?
と考えることにして、「まっ、いいか」と流してしまうことにした。
なにしろ他人の思惑に付き合っているほど、時間が有り余っているのではないのだから。