星々のまなざし

このごろ、夜寝る前に夜空を眺める。
日中の出来事に心が波立って眠れない夜には、ベランダに出て月や星を見る。

それほど田舎ではない土地でも、風が強く寒い夜には見上げると、かすかに点々と星が見える。
北斗七星も見える。
星と星とを線で繋ぐようにして、かすかに光る星々を見ていると、それぞれの星に名前をつけたくなる。

すると、関わった猫たちの顔が浮かんでくる。
あれはかわいいグレ子かな。近くにいるのは迫力のグレ男だろうな。

いつも、どんなときにも、二匹で寄り添い、支えあっていたことが忘れられない。
グレ子が死んでからそれほどたたないうちに、グレ男も星になった。
急いでいかないと追いつかないとでも思ったのだろうか。

そして、ふじ子はいつごろ、星々の仲間に入るのだろうか。
もしかすると、ふじ子はまだ星にはなっていないかもしれない。
奇跡が起こることを、どこかでまだ捨てきれないでいる。

今年は、いろんな出来事に出会ったことで、考え方がちょっと変わった。
親しみを感じていた人からの思わぬ態度に出会い、安易に自分をさらけだすことを反省した。

けれど、もう、そんなこんなの年もそろそろ終わりが近い。
恥ずかしい失敗や、いやな目にあったことは、今年に置いていくことにしよう。

そして、なにごとにも、こうでなくてはとは、という考えを持つのはやめることにしよう。
まっ、こんなもんかな、と自分をなだめていると、しだいにそう思えてくるのが不思議なんです。


超マイナス思考の私でも、そういう考えを習いにしていると、少しずつ光がみえてくるようで、心が波立つことが少なくなる。
人間関係もよくなってくるし、たまに調子に乗りすぎて失敗したときにも、立ち直りが早い。

うっかりした失敗を責め立てる人は、たぶん心にゆとりがないからだと思うのです。
生きていれば失敗なんてごろごろ転がっているんだから、あまり騒がないでよね、と平気な顔をしていれば、嵐は時間とともに過ぎていくことでしょう。

今日、ふじ子が最後に寝ていたという松の木の空に、お参りをし、天に向かって手を合わせてきました。
どうしてこんなところに、という思いは尽きないけれど、それもまた今年に置いていくことにして・・・。
冷たい風に震えながら、ふじ子はこの空を見上げていたのでしょうか。

【ふじ子が眠るように横たわっていたという場所の松】

辛いことが続いても、星々の輝きを見ていると、人間て決して無駄に年をとることはないのだと思えてきます。
悪いことが起こっても、それはたぶん、何かを教えてもらっているのだというふうに捉えると、新たな年への栄養になることでしょう。

星々を眺めながら、ふっと誰かのつぶやきを聞いているような気がするのです。
クリスマスや正月の賑わいをよそに、ひっそりと暮らしている人々や一人で哀しみに耐えている人の痛みも感じます。

けれど、きっと星々は何億光年の彼方から、そんな人々のこともじっと見守っていることでしょう。
そして、今日の哀しみは永遠には続かないというつぶやきを、送ってくれることでしょう。

皆様、よいお年を!
どうか、新年が光に向かっていく年になりますように。


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