あの子がほしい、花いちもんめ

二つのグループがそれぞれ、一列ずつに並んで向かい合い、相手がたのチームの子をもらう遊び。

「○○ちゃんが欲しい、花いちもんめ」
じゃんけんをして勝つと、○○ちゃんを自分たちの組に引き入れることができる。
現代の子供たちにはあまりなじみのない、古くからの遊び。

【いつもきれいな花を絶やさない前島神社の花手水】

江戸時代、貧しい家の娘が買われていくという話に重なるといういわれもあって、深い意味がありそうだ。
もちろん、そんな意味があるなんて子供が知るわけもなく、自分にも遊んだ記憶がある。

けれども、この遊びは、「○○ちゃん」に選ばれないものにとっては、かなり辛いものだった。
結局、最後まで残る子はいるわけで、その最後になったらどうしようと、ハラハラしながら遊んでいたように思う。

私は、小学校の高学年の頃、誰とも口をきかずに学校から帰ってくる日々が続いていた。

だから当然、「○○ちゃんがほしい」というような状況、修学旅行とか遠足、なにかの催しのときのグループ作りの時など、そんなときには、どこからもお呼びではかからない。

【これは手作りの干し柿。こんなふうにグループに入ることがなかなかできない】

そうして世の中に出てからも、社会もまた、「○○ちゃんがほしい、この子じゃわからん」というような理屈で成り立っている気がしてならなかった。
もちろん、「○○ちゃん」というのは、子供や女性を指すだけではなく、男性や物事に対してもあてはまるわけで。

そういう状況は、人生にずっとつきまとう。
でも、心配することはない。

【ロウバイ】      写真はKさん

「この子じゃわからん」と言われ続けても、人付き合いを学ばざるを得ない状況を何度もくぐっているうちに、「○○ちゃん」の○○になれなくても、べつに生きていけるんだってことを知る。

なかなか運に恵まれなくても、ある日、傷口から新しい芽が顔を出していることもあるし、足許で、花はちゃんと咲いてくれていることに気づく時もある。

【いつも孤高を保っていたシロ。今は病気も癒えて、のんびり。なんと、日向つ猫さんにスリスリするように】

それでも、「この子じゃわからん」と拒まれているように感じるときは、きっと心が萎えているとき。
猫の背を撫でたり、そこらに咲いているありふれた草花をみつめることにして・・・。

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