自信というものに、たぶん私はあまり縁がなかった。
だから、人に舐められることも多く、仕事ではミスをなすりつけられたり、いいように利用されることも少なくなかった。
そのたびに、じゃあどうすればそんなめにあわないかということを考えず、必要以上に落ち込んでさらに自信を失い、自分をだめだと思うようにもなった。
そういうこともあって、おだててくれる店員の甘い言葉ほしさに買い物に走るようになり、服やバッグなどは、ちよっとした店が開けるほどに大量にふえた。
結果、少なからず、財産を失った。
小説を応募しても、かなりなレベルまではいくものの、一等賞になることはなく、そのたびに、佳作とか最終候補作とかで息切れし、果ては作家である選者に、しこたま意地の悪い批評をされて、すっかり書けなくなった年月を過ごした。
それは、きっとこれではだめだと自分を責めたせいでもあるし、それならきっぱりと諦めようという潔さもなかったからだが、考えてみれば、いつも他人に振り回されていた。
なんと馬鹿らしい。
そのために、時間とエネルギー、はてはお金まで、どれほど無駄に浪費したことか。
今頃になってそんなことに気づいても、すっかり手遅れなんだよ、現実はね。
けれど、気づかないよりはいい。
なんでも、そう考えるようになった。
それまで気づかなかったことに気づくと、人の見方が変わるから。
そうすると、楽になる。
些細なことが気にならなくなるし、また、気になることがあっても、まあまあいいじゃないの、と流せるようになってくる。
それでも、どうしても、許せない言葉や言動というものも一つや二つはあるから、そんなときには、許せない自分を許してしまおう。
人間だもの、それは生きているということだから。
どうしても許せないような言葉を平然と口にするあの人のようにはなりたくないと思うのがプライドで、そんな人から自分を守るというのが自信。
運が悪いとか、自分が駄目だからとか、そんな自分にやられ続けて終わりたくはないと思った時から、なにかが変わるのではないかしら。
大丈夫、きっといける!
「こうみえても、あたしはけっこうやれてるんだから」
そして、あなただって、あなたが思っているよりもずっと凄いと思うよ。
小さなことでも、そんなふうに自分をおだててあげる。
だってそのほうが、自分なんて、と思うよりもはるかに気持よく暮らせるんだもの。