おいらがまともに餌にありつけなくなったのは、おいらたちに庭で餌をくれていたおじさんが死んでしまったからなんだ。
その後おばさんは、おいらたちのことには無関心で、ろくに餌にありつけなくなっちまったよ。
それからというもの、あっちこっち、空腹を抱え、腹を満たすためにうろうろしなくちゃならなかった。
それでもおいらたちのために餌を運んできてくれる人も出てきて、おいらたちはほっとしたんだ。これでうろうろせずにすむぞって。
どうか、餌をめぐんでくれと、めぼしい家を行脚しなくてもすむようになるなんて、おいらたちにしてみれば、夢のような話だったよ。
だけど、その人も、ある日を境にぷっつりと姿をみせなくなってしまった。
おいらたちは、ああまたか、と思った。おいらたちの暮しは、そういうことの繰り返しだもんな。
そうなんだよ、今日餌をくれた人が明日もきてくれるっていう保証はどこにもないんだよ。
おいらたちに明日という言葉はないんだ。
今日はなんとか餌にありつけても、明日はない。
それがおいらたちの現実。
何日も餌にありつけなくて、腹を空かせて、ふらふらとさまよい、どこかの親父に石を投げつけられて死んじまった仲間もいるし、ホウキだの棒だので追われたり、怒鳴られたりする毎日だ。
それがおいらたちの現実。
このあいだもしばらくおいらたちに餌を運んできてくれていたおばさんと、犬を連れていたおっさんと鉢合わせして、犬のおっさんが、餌を片付けていたおばさんを怒鳴っていた。
おばさんは反撃し、「野良にだって生きる権利はあるんですよ。片付ければいいわけでしょ」と言い返した。
けれどおっさんは、「世間では野良に餌をやるなといってるだろうが。野良なんてそこらの草だのミミズだの、食ってりゃいいんだよ」とすごい怒声。
負けじとおばさん、「この子たちは去勢と避妊の手術すんでるから、もうふえないし、迷惑そんなにかけることもない」
するとおっさんのそばにいた大型犬が、とんでもなくでかくて強そうなやつが、おばさんのほうに近寄り、前脚をあげた。
するとおばさん、後ずさりもせず、「お宅の犬だって大声で吠えて、近所に迷惑かけてるでしょ。たがいに迷惑なことを少しずつ我慢しあいましょうよ。排除するだけでなく、共存して」
するとおっさん、とにかく餌をやるなと、ぶつぶつ言いながら犬を連れて立ち去った。
おいらはその一部始終をみていたんだけれど、これでまた餌にありつけなくなるなあと、絶望的な気持になったよ。
ミミズを食えって? そんなの言われなくたって、とっくに経験済みさ。そこらの蜘蛛だってハチだって、おいらたちは、腹がすけばなんだって食うさ。なんもなくて、とにかく腹を満たすために土だって食うんだ。
だけど、そんなことを、あんなアホなおっさんに言われたくないね。
世間じゃ、おいらたちは嫌われもんだけど、おいらたちにだって生きる権利はあるんだぜ。
どうせ、野良猫、といってる人間たちとおんなじように、おいらたちにだって、神様は命を等しく与えてくれたんだ。