ぼくは、これでいいのだ。

私は、なぜか考え事をするときには、心の中で、ぼくは、となっている。
なんとなく、少年のぼくになると、現在の自分から離れて客観的に自分を見られる気がするし、純粋になれる気もする。

年齢とか場所とかに縛られずに、心が自由にもなる。
もしも、まだ私が本当の少年だったら、今、なにをしたいのだろうとか。

すると、心の中だけなら、どこにでも行けて、なんでもできる未来を想像できる。
現実にはとうてい無理なことでも、いつかテレビで見た美しい土地に降り立つこともできる。

そして、行きついた土地が素敵な土地になり、出会った人が素敵な人となっていくのだ。
味わったことのないおいしさに舌鼓を打ち、出会ったことのなかった人々の陽気さに酔う。

そんなことを頭の中で考えていると、とても楽しくなってきて、今、眼の前にある現実にも向かって行ける気がしてくる。
だから、くたびれたときには、そんなことを想像する。

すると、心は自由だなのだから、眼の前にある現実の厳しさもわりあい軽くこなしていけそうな気がしてくるのだ。
ぼくはこれでいいのだ、と自分を信じる気持が沸いてくる。

誰かにおとしめられたり誰かに攻撃されても、戦う力が沸いてくるのだ。
そうだ、ぼくはこれでいいのだと、つぶやきながら。

若い時には、たえず、現状に不満を覚えていた。
いつも、ここではないどこかへ行くことばかり考えていた。

けれど、ここではないどこかは、どこにもなかった。
どこに行っても、また、ここではないどこかに行きたくなった。

そして今、老人になった私は、ようやく悟ったのだ。
行きついた場所が素敵なところ、そこで出会った人たちが素敵な人なんだって。

このごろ、よく言われるのは、「あなたはいつも元気そうでいいわね」ということ。
本当は眠れない日々を送っていても、そう言われて驚くことがある。

でも、以前の私は「あなたはいつも、今にも泣きそうな顔をして歩いている」とよく言われたものだった。
だから、たぶん、今が、一番すてきな時かもしれない。

だって、ぼくの心には、すてきなものや感動がいっぱいあるからね。

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