真似ごとと本物


最近、田舎に移住した人を取材する番組がふえてきた。
そういう番組を見ていると、ううん、みんなうまくいってるんだなあと、ちょっとうらやましくなり、そして、自分は途中で挫折してしまったことをちらっと思いだす。

自分も40代前半の頃に、長年住んでいた横浜から山形のN市に移住した。
といっても、その土地で自給自足とかそういう暮しをするのではなく、田舎暮しに憧れていた連れあいが、そこでの仕事がみつかったのを機に、移住したいと言ったからだ。

それまで住んでいたマンションの住まいを売り、それを元手にして土地を買い、住まいを造った。
そうして、真似ごとのような畑を作り、庭に花々を咲かせた。
家を建てたのだから、動けるうちはずっと住むつもりで。

テレビ番組に出てくる家族は、移住に成功した人たちばかり。失敗した人のことはあまり報じない。
定年後に都会の住まいを引き払い、好きな土地に移住する暮らしを選ぶ人たちもいて、どれも、とても心地よさげなのだ。

野菜などをご近所から頂いたりして、和気あいあいという雰囲気が描かれることが多い。
その土地の行事にも参加して、楽しんでいる人たちの笑顔が映し出される。

自分たちもそんな暮らしを、頭の中で描いていた。
私は田舎で生まれて田舎がいやで都会に出てきたはずなのに、いつのまにか村社会の厳しさを忘れていたようだ。

わりと都会的な横浜からの移住だったせいか、つぎつぎと起こる想定外のできごとにあっけに取られっぱなし。
よそ者はいつまでたっても、よそ者なのだなあという現実に向き合った。

「孫の代まで住まなきゃよその人」とか、「何十年住んでも、所詮は旅の人」というような雰囲気の土地では、よほどの覚悟がないと住み続けることはできない。

【おいらの棲み処はここ】        写真Kさん

もちろん、そんな土地ばかりではないだろうし、私たちのようなよそ者にも親切にしてくれる人たちもいた。
だから、十年もがんばることができたのだが、結局は、なにもかも失うことになるのを納得して、猫二匹を連れてその土地から出ることを決意した。

今になって、移住の番組を見ていると、自分たちは所詮、真似ごとだったのかなあとも思うのだ。
覚悟もなにもなく、ただ、ひょいと行ってしまったのだから。
そりゃあ、あいつら、いったいなんだ? と、受け取られてしまったのも無理はないわけで。

【おれたちはここに流れ着いた?】

中年を過ぎてからの失敗の代償は大きすぎて、それからの私は、「あのときああすればよかった、こうすればよかった」と、日々ウジウジしていた。
でも、ある日、ふっと、「ああ、なんとばからしいことだろうか」と気づいた。

【なんか、いるぞ。虫だ】

いったい、いつまで、過去のことで、今という時間までもだいなしにするつもりなんだと。
そうなんだ。今は今の暮しを大切にしたほうが人生お得じゃないかと。

「あっ、もう、あなた、人生の時間ぎれですよ」
そう言われないうちに、視点を変えて、自分らしく、本物になるようにしなくっちゃ。
気づくのが遅すぎたけれど、気づかないままだったら、怖ろしいことになっていただろう。

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