あちこちでアジサイが咲いている。どれもおんなじようにみえるが、よくみると、それぞれにちょっとずつ違う顔。花は、群衆の中の一人一人という感じ。
まる子が古墳の丘から去って3週間あまり。ひさしぶりにまる子の顔を見に行った。すると、こんな顔。
ちょっと最初は戸惑い気味。落ち着かない。きっと、また古墳の丘に連れ戻されると思ったのかもしれない。時間がたつと慣れてきたのか、遊びはじめ、ようやくそばにも寄ってきた。
ふつう、猫は鏡を嫌う。なのに、ちゃんと自分をみている。うん、たしかに少し痩せたよね、とまる子をみていうと寄ってきたが、以前のように膝の上にまでは乗ってこない。やはり用心しているのかもしれない。でも、小さなネズミのぬいぐるみでしきりに遊んでいる。古墳の上ではみなかった光景だ。こんな日がくるなんて、とても予想ができなかった。でも、現実にまる子はこうして無邪気に遊んでいる。
そして遊び疲れると、またベッドの上に。よほどお気に入りなんだね、ベッドが。そりゃあ、石の上よりも寝心地がいいもの。里親さんは、「この子は運の強い子、だから、私たちにもきっといい運を運んでくれるよ」と終始にこにこ。
たしかに運の強い子だ。あんな草深い山に捨てられてもどうにか生きのびて、痩せ細った体で子供を産み、育て、しかも今はこうしてしあわせを掴むことができたんだもの。不幸を、不幸のままで終わらせなかったまる子の強さだ。
里親さんになってくれた人いわく、今年の元旦、初日の出をみに古墳の丘に行って日の出をみながら、思わずつぶやいたそうな。「どうか、この子がしあわせになりますように」って。
そして、それが実現したのだから、やっぱり願い事は口に出していうべきなんだね。
今ごろになって知った話だが、まる子が市役所の協力で避妊手術を受けた日のことだ。夕方、私がその病院を訪ねてみると、奥からまる子の鳴き声が聞こえてきた。助けてといっているように聞こえた。手術したばかりだし、せめて今日くらいは自分の家に連れて帰りたいと申し出ると、市役所の人が迎えにくることになっているからというので、そのまま帰ったのだったが、その夜、まる子はなんと管理事務所の裏にゲージに入ったまま置かれていたのだという。
野良なんて、どうせそんなもんさ、という言葉が、どこからか聞こえてきそうな気がする。
ある日いきなり捕まえられてどこかに連れて行かれ、わけのわからないめにあい、あげくその夜はゲージに入れられたまま一晩中外に置かれていたまる子。どれほどの恐怖にさらされていたことか。これまでのぶんも、うんと甘えていいんだよ、まる子。古墳の丘のお父さんとお母さんのことはもう忘れていいんだよ。今度は本物のお父さんとお母さんができたんだもの。
おかげさまで、顔もすっかり甘えん坊の表情になったまる子。チビのことはちゃんと気をつけて面倒をみているからさ、もうひとがんばりするさね。まる子のためにもさ。みんなは、残ったチビのことを寂しそう寂しそうっていうけど、チビはチビで元気にやってるよ。チビだって、もう立派な(?)おとなのオス猫なんだからね。
でも、やっぱりときどきは甘えたくなるようで。いつもかわいがってくれる人にはこんなふうに、頭を預けるようにしてくるときがあるんだよね。まる子がいたときには決してしなかったことで、まる子の代わりを求めてるのか、それとも、まる子への遠慮がなくなったからなのか、それはチビにしかわからないんだよなあ。