みんなで渡っても、怖いのです。

「みんなで渡れば怖くない」という言葉、かなり前に流行した。
「たとえ赤信号であっても、みんなで渡れば怖くないよ」というような意味で使われていた。

その言葉、最近になってよく思い出してしまう。

なぜかというと、たとえば、誰かがしてはいけないことを始めると、ほかのみんなも真似をして、いつのまにやら、当たり前のことになっていくようなことが多いから。

いじめもそうだし、政治家の金まみれの行動もそうだし、いとも簡単に戦争が起きてしまうのだって、元はといえば一人の権力者が始めることだ。

そして、さらに怖いのは、それを見ているこちらも、いつのまにか慣れてしまい、日常になっていくこと。
たとえば、ウクライナのことだって、最初のときほどの衝撃はなくなっている。

そんなときに、ヌー(和名は、ウシカモシカ)の大群が大河を渡るという記事を見た。
ヌーは、アフリカの広大な大地を、草地と水を求めて大移動する草食動物だ。

大河を前にして、たじろいでいる群れのなか、初めの一頭が意を決したように河を渡りだすと、雪崩を打つように、つぎつぎと他のヌーが後に続くのです。

河にはワニがいて、待ち構えている。
ときには、何百頭もの犠牲が出るときもあるし、群れの中には子供もいて溺れ死ぬ危険も多い。

それでも生きるために、草原を求めて移動するヌーたち。
乾季に同じ所にとどまっていたのでは、草も水もなくなって確実に死んでしまうから。

だから、危険が多い大河だって、移動する。
そして、みんなで渡れば、自分が狙われる可能性が低くなる。

それは確率の問題。
でも、人間はヌーではないのだから、立ち止まり、踏みとどまることができるはず。

そうは思っても、やはり、まわりの流れに逆らうのは度胸がいる。
だけど、みんなで渡る流れからそろりと抜け出してみると、視界が広がって、思ってもみないことに出会う。

だから、先がみえないまま、なんとなく、みんなで渡るのは、結構怖いんじゃないでしょうか。

【ふじ子 人が多い時には、藤棚の上にあがっている】

今日は日曜日で、屋台も出て、公園は子供たちや家族連れが多く、はしゃいだ声であふれていた。
集団みたいに、あっちもこっちも賑やかすぎて、猫の居場所がないような日々だ。

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