気をつかわない誰かと、一緒にごはんを食べる。
それに勝る幸せがあるかしら?
アズキとふじ子のこんな姿を見ては、そんなことを感じる。
長年一緒にいて、寒い時にはくっついて暖めあっていた相棒をなくしてから、アズキはいつも飄々としていた。
撫でたり話しかけたりしても、どこか本音を隠しているようで、ふいに離れて去って行ってしまう。
野良なのだからしかたがないし、本来、猫というものはそういうものだろうとも思っていた。
けれど、このごろ、アズキの様子に少しずつ変化が出てきた。
ふじ子が移動してきて、いつのまにか、アズキのティリトリーまでやってきてからだ。
ふじ子のほうは最初のころはアズキの居場所にどんどん入って行っていたが、どういうわけかある時期から、きっちりと境界戦を引くようにして、近づかなくなった。
初めのころ、アズキが威嚇していたせいかもしれない。
しだいにアズキ先輩に遠慮がちになり、あまり近づかなくなった。
すると、アズキは、自分のほうから近づくようになり、少しずつ距離を縮めていった。
そして、ある日、ふじ子に接近し、鼻を近づけ、ふじ子もおそるおそる応えた。
二匹が仲直りし、認め合った瞬間である。
それから一気に近づくかと期待したが、そうはならず、互いにまた様子見。
そんな膠着状態がまた続いたあと、ようやく、ふじ子のほうも心を許したようで、ご飯も、並んで一緒に食べるように。
なんとなく、ほんわかとした空気に包まれる。
するとアズキは、それまでの、ちょっとつれない態度をくずしてきた。
甘えたい時には存分に甘えてくる。
ゴロゴロと喉を鳴らしながら、お腹をさらす。
普通、猫はよほど気を許さない限り、お腹を触らせることはない。
なのに、触わらせてくれるようになった。
アズキを長いこと覆っていた殻のようなものが取れて、まんま、思うままに行動しているような感じになってきた。
ずっと一緒にご飯を食べ、体をくっつけあって一緒に寝ていた相棒を失ってから、アズキはその殻のようなものから出るのが怖かったのだろう。
なかには意地悪をする人もいるだろうし、一番苦手とする子供たちの声には神経を張り詰めるけれど、心を許せる相手には身を委ねる心地よさを感じるようになったのではないだろうか。
そんなアズキを見ていると、ようやく寂しさからぬけだすことができたのかなあと思い、ほっとする。
野良たちの過酷な日常に心をいためることが続くと、つい心が折れそうになり、そんな現実に出会うくらいなら、眼をそむけ、近づかないほうが楽だと思うこともあるけれど、アズキの変化をみているともう少しがんばろうという気にさせられる。