もう、やめよう。
そう思いながらスマホのスイッチを切り、読みたかった本に向かう。
これまで何年も何年も、猫の関係からの連絡が入るために、しょっちゅうスマホを見る習慣が身についてしまっていた。
そのため日中はいつも落ち着かない気分で過ごし、夕方、餌やりの時間になると、そわそわしだす毎日。
そんなふうにして重ねてきた年月の間に、私は何を得られただろうか。
思うようにいかない猫の保護や世話や、猫をとりまく人間関係にヤキモキしていただけではなかったろうか。
猫の会ができた今、自分が行かなくても猫たちが飢えることはなくなったし、病気になれば誰かが気づいてくれる。
もう、気にしなくてもいいのだ。
そんなふうに考えて、ひさしぶりに図書館に行って本を借りてきた。
でも、読んでいるうちにすぐ眠くなってうとうとしだす。
いつだったか、ヒグラシの鳴く夕方、朝から夢中になって読んでいた本を置いて顔をあげたとき、裏庭の木の枝が揺れ、大きなヘビが落ちてドサッと音がした。
驚いてヘビの行方を追っているうちに、ヒグラシの鳴き声は遠く近く、もの悲し気に響き、ふっと子供の頃のことを思いだした。
実家の大木の祠に、大きな白いヘビがいて、縁起がいいと言われ、大切にされていたようだが、子供にとっては気味が悪い。
ときおり、その大きな木の下で本など読んでいると、知らぬまに横をすり抜けていくときもあった。
それでも、誰も噛まれたことはなく、いつのまにかその姿を見なくなった。
大きく葉を広げる大木のまわりをいくら探してもみつからなかった。
夏の日、陽が翳るころになると、ヒグラシの声があちこちから響いてくる。
畑の隅では母が焚火をして、芋を火の中に入れたものだった。
母が火の中に放り投げた芋は、しばらくすると香ばしい匂いを漂わせる。
その匂いに私と妹たちはもう待ちきれなくなって、盛んに火の中を小枝でかき回し、頃合いをみて我れ先にと手にとるが、熱すぎて思わず落としてしまい、笑い転げる。
たわいもない記憶が、今はとても尊いものに思えてくる。
時間は戻すことはできないけれど、心持ちだけでも、あの心豊かだった日々に帰ろう。
いつからか、他人の気持に敏感になりすぎていた。
誰かの機嫌にそわそわしたり、誰かに認められようなんて考えるのはやめよう。
成功したかどうかなんて、問題じゃないのよね。
ゆったりとした日々に帰って、ときには、無垢だったころによく遊んだ、懐かしいあなたのことを考えてみよう。
一緒に山に行って、野イチゴを摘んで食べたあの日の私たちの笑い声が、突然響きだしたヒグラシの鳴き声に掻き消された。
夕闇が満ちてきて、ヒグラシの声に追い立てられるようにして、どちらからともなく走り出した。
あの日、私たちはきっと、おとなになることへの怖さを知ったのでしょう。
おとなになってからは、あなたとはあまり会えなくなって、ずいぶん前に、あなたはもう彼岸に行ってしまったけれど、あなたのことを思いながら、私は今夜、眠りにつくでしょう。