心が離れるとき

とても好きだったものや、関心があった人から、すっと心が遠のくことがある。
ある日、あれっと思う。

もう昨日の気持と違うことに気づく。
猫はまさにそうで、ある日突然に夢中だったものに見向きもしなくなる。

なので、そんなときの自分は猫になった気分。
これと言って、理由もみつからないが、なぜだか昨日のようには、もう熱を感じられない。

相手が変わったのか、それとも自分が変わったのか、とにかく、急速に冷えていく気持に歯止めがかからない。

物事や人と別れるというのは、なにかの事情で離れることよりも、そんなふうに、熱が引いて離れることのほうが多いんじゃないかな。


心の中でそっとサヨウナラを言うときはたぶん、なにか、新しいものが近くにきているときかもしれない。
だから、もう、昨日の自分には戻れない。

対象がなんであれ、心が離れるときは必ずくるもので、まわりに気づかれないようにサヨナラするのが、粋なやりかた。
それがオトナ流。

反対に、相手のほうからそんな空気を感じるときもある。
そんなときには、早くすっきりしてよかったじゃないの、と考える。

冷えた気持のまま続けても、いいことはないから。

決断できないまま、ずるずるとひきずっていると、ストレスが積み重なっていく。
物にも人にも、たぶん引き際というものがあるのだろう。

けれど、鮮度が落ちても心が離れないのは、たぶん本物。
むしろ、時を重ねるにつれて、深みがましていく関わりもあるのだから。

気をつかわずに話せる人とか、使い込んだ器とか、体になじんだ服とか・・・。
そうなってくると、今度は離れるのがつらくなる。

だから、離れられなくなりそうなものは、ほんの少しにとどめる。
人生、それでなくとも、辛いことは、わんさか押し寄せてくるのだから。

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