一番新しい日

【美しきかなホオジロカンムリヅルのペアー 日本平動物園にて】

一月一日という日は、理屈的には単に昨日の続きでしかないのに、なんだかきっぱりとした気持になる。
今年はどんな年にしようかと考えている。

だって、これから始まる一年の一番新しい日だから。
去年よりも、少しでも気持ちよく過ごしたいと考え、そのためにはどうしようかと考える。
そういうわけで、やっぱり正月は一番特別な日なのだ。


不思議なことに、去年起こった嫌なことや腹立たしさなども、まるで掃き清められたように気にならなくなっている。
これはやはり、いにしえの神々が年の初めに人間に与えてくださる恩恵なのかもしれない。

子供の頃の田舎の正月は、まるで和風のクリスマスツリーを飾るようであった。
父が切ってきた大きな松の枝に、私たち子供はさまざまな縁起物を糸でくくりつけるのである。

それは鯛や七福神や宝船などで、どれも色とりどり。
飾り終わった二本の松の枝を、父は神棚の両側にくくりつける。

和風のクリスマスツリーが、古くて大きな神棚の両側に出現するのである。
切られたばかりの松の匂いと色とりどりの飾りが華やかだった。

【芹沢銈介作品より】

家の中は一気に正月気分になり、土間で兄は母と兄は餅をつき、掛け声が響き渡る。

あんな賑やかな正月を過ごせたことが、今では夢のようである。
毎年、夫と二人きりの正月にも慣れて、それなりに楽しんでいるものの、やはり、どこかで寂しさは忍び寄る。

かといって、誰かがくるとなれば、それはそれでまたしんどいだろう。
テレビをつけても退屈だから、こたつに入って本を読む。

すかさずミーナがそばにやってきて、チョイチョイとなにか仕掛けてくる。
そんなふうに、毎年、変わらない正月だけれど、でも少しずつ変わっていることもある。
これはもう面倒なので、やめようかなということが一つずつふえてきた。

このあいだ、ある知り合いが、もう神棚に向かって毎朝拝むのは大変になってきたので、しまいにしようかなあと話していた。

神棚の手入れをしようとして踏み台から落ちて怪我をして骨折してしたという話もよく聞くし、仏壇の線香から火が出たという話も聞く。

そんなことになるのは、神様もご先祖様も望んではいないことだろうから、決心がいることだけれど、いい考えかもしれないと私は言った。

私も、最近、なにごともシンプルがいいと考えるようになった。
暮らし方も考え方も。

続けるのが難しくなってきたことを無理に続けるよりは、いっそやめることにして、その時間やエネルギーを他の好きなことに充てたほうがいい。

【お正月の富士山】

たとえば、なるべく人と会うことにするとか。
億劫でも、日に一度は外に出るとか。
出れば、誰かに会って挨拶くらいはするものだし、言葉もかわす。

そういうわけで、ふじ子の姿がない公園に行くのはまだ辛いけれど、運動のために歩くことにしている。
歩きながらふと立ち止まって耳を澄ましてしまう。
子供の声がふじ子の声に聞こえるときだ。

昨日は、ふじ子のことをかわいがってくれていたおじさんに会い、新年の挨拶を交わした。
無口な彼は、めずらしく、彼のほうから笑顔で声をかけてくれた。きっとふじ子のおかげかな。

そのうえ、以前に餌やりをしていた猫の里親さんにもひさしぶりに会い、ちょっとお喋り。
年末には、最近の写真も送ってもらっていて、さらにはチビの里親さんからも写真がラインで届いた。
人の優しさや言葉が染みる、静かでいい正月だ。

【ちょっとスリムになった?】
【半年もケージから出なかったというチビが、ここまでになるなんてね】



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