猫は勝手気まま。
だからかなあ、不平を言うこともない。
そして、ちゃっかりといいところをみつける天才でもあって。
そんなちゃっかりさに、思わず笑みを浮かべる。
勝手と自由は、境界が曖昧なもので、ともするとはきちがえてしまう。
子供の頃、学校でよく先生に怒られたが、理由は、たいてい自分勝手な行動をしたときだった。
自由と勝手の違いがよくわからなかった。
そして不幸なことに、猫のようにちゃっかりと居場所をみつける才能は持ち合わせていなかった。
だから、通知表にはよく、協調性がない子だと書かれていた。
実際、学校に行きたくない日には、学校には行くふりをして途中で道草をしたものだ。
田舎のことで、行くところはいくらでもあり、草むらに寝転んで一日中空を眺めたり、牧場の牛や馬を眺めたり、お腹が空いたときには、野イチゴやら桑の実やら食べるものも見つけられた。
先生が家庭訪問で訪ねてきた日、そのことを母親に指摘すると、なんと母親は予想もしないことを言った。
「先生、そりゃあね、6人も子供を生んだ私から言わせてもらえば、いろんな子がいるもんでね、そったに悪いことではないべね」
そのとき、先生は、即座には答えられなかった。
物陰からそっと二人のやりとりを見ていた私には、その問答は、一種の戦いのように思えた。
二人の様子をハラハラしながら見ていた私は、母はきっと先生に謝るだろうと思っていたが、そうはならなかった。
そして、そのときの母の言葉は、それからの人生の応援になった。
いろいろと大きな試練にあうたびに、そのときの母の言葉に励まされることになった。
「それほど悪いことではないよ」
そう思うと、一つの考えやこだわりに縛られている自分に気づいて、なあんだ、悪いことばかり考えるのはやめよう、となる。