古墳の丘への坂道で、ひさしぶりに会ったご夫婦。
「丘の上に行って探したけど、猫がいない」とおっしゃる。
チビまる子が引き取られたことを知らず、会いに来てくださる方もまだおいでのようだ。
里親さんがみつかって引き取られたという話をすると、みなさん驚かれる。半信半疑といった具合。それで、送られてきたチビとまる子の写真をスマホで見せる。すると、「あの猫たち、逆転人生だねえ」と、みな同じようなことをおっしゃる。
子猫ならともかく、あんなに大きくなっても、里親さんがみつかるなんてねえ、と不思議な顔をする。
チビとまる子はずっとあそこにいることになるだろうと、自分もそう思っていた。
歳をとって古墳へと続く坂道を上れなくなったら、どうしようかと不安でしかたがなかった。
でも、そうならないうちに、助けてくれる里親さんが現れたというわけで。たしかに、逆転猫生だ。
逆転人生って、惹かれる言葉。メディアにも、そんな人がよくとりあげられる。
自分にはなかなか無理そうだが、時間と気持にゆとりができたから、せめて、毎日なにか一つずつ、これまでの行動をちょっと変えてみようと決めた。
たとえば、ひっそりと咲いている花をみつけてあげる。愛でてやる。
たとえば、打ち捨てられたまま忘れられている物や服、本や手紙を整理し、古い記憶と一緒に弔ってやる。
たとえば、ひどい環境にもかかわらず、がんばっている猫たちに、できることをやってみる。
たとえばスーパーのレジの人にお釣りをもらうときなんかに、いつもありがとう、と言ってみる。
でも、くたびれたときには無理をしないで一人の殻に閉じこもって、猫みたいに丸くなる。
しばらくしてお日様の光が恋しくなったなら、またそろそろと這い出て、空や名もない草花に手を伸ばしてみる。
そんなわけで、このあいだ、ふっと庭をみると、奇妙なものがヒョコヒョコ、苔の中からいっぱい出ているではないか。
うん? なんだこれは。これまでは雑草だと思って抜いていたのだが、よく見てみると、なにか神秘的。
それで調べてみたら、苔の胞子のようだ。
小さな小さな植物が生きるための、とても大切なものだそうだ。抜いてはいけないと、大切にすることにした。
そうして、殺風景な庭に色を添えてみることにした。
それでさっそく買ってきた花を植えていると、網戸のなかのミーナが外の花に向かって、なにか話しかけているような、遊んでいるような・・・。
ちょっといつもとは違う顔。こういうこともまた、発見という花の一つだ。