鬼もいろいろ

福鬼

節分で、鬼が注目される時節。それで思い出すのは、赤鬼と青鬼の話。「泣いた赤鬼」は、浜田廣介氏の書いた児童文学だ。

お茶屋さんの節分ドーナッツ

山の中に住んでいる赤鬼は、ずっと人間と仲良くなりたいと思って努力していたのだが、人間たちは、なかなか信用してくれず、悲しむ。
落胆する赤鬼の話を聞いた青鬼は、「おれが村へでかけて暴れるから、そこにお前がやってきて、俺を退治するんだ。そうすれば人間たちもおまえのことを信用してくれるさ」と赤鬼を説得。

作戦は成功し、赤鬼は人間たちと友達になり、楽しい日々を送っていたのだが、ある日のこと、はてあれから青鬼はどうしたのだろうかと気になって訪ねてみると、青鬼はすでにいなくなっていて、「ぼくはどこまでも君の友達だよ」という置手紙があったという話。

鬼はいつも悪者として登場するけれど、この話に触れると、鬼に対するイメージが変わる。人気アニメ「鬼滅の刃」でも、主人公の丹治郎は、ときに仇敵であるはずの鬼の哀しみに触れる。

人の心の中にも鬼はいるかもしれない。だから、節分の日には家の中から鬼を追い払うだけでなく、自分の心の中の鬼も追い払おうとするんだろうなあ、などと思いながら庭の草むしりをしていると、あまりみかけない鳥がやってきた。

ジョウビタキだ。すぐそばまでやってきて、なにかしきりについばんでいた。私のことを鬼とは思っていないんだね、君は。

日曜日の公園には、ここのところ、広場におしゃれなキッチンカーが思い思いに並ぶ。蔓延防止であまりでかけられなくなったから、ここは恰好の場所。親子連れやカップルなどが立ち寄ってにぎやかな音楽や人々の声が行き交う。

屋台などと呼んでいたのは、はるか昔の話。今どきは、どれもオシャレで本格的。看板をみているだけでも楽しい気分になる。
人間と仲良くなりたい善良な鬼がいるとしたら、きっとそこらへんの木の陰にそうっと潜んで、楽しそうにしている人間たちをうらやましげに見ているのかもしれない。

最近の三毛子は、ピンポン玉に夢中。

そんな鬼には、豆なんか投げつけられないよね。それにしても、赤鬼のことを思って姿を消した青鬼の、「ぼくはどこまでも君の友達だよ」という言葉、胸を打ちます。

山形での移住生活をしていたころ、隣り町にある浜田廣介記念館に行ったことがありました。平日の館内はひっそりとしていて、どこからか、「ぼくはどこまでも君の友達だよ」という言葉が聞こえてくるような気がしたものです。その頃の私は、鬼でもカラスでも、なんでもいいから誰か私の友達になって、と思っていたからです。

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