今年は、あまりよくないことが重なった。
それが原因なのか、体調も悪かった。
このままいくとまずいぞ。
そんな心のシグナルが聞こえてきて、それで、秋ごろから少し思考回路を変えてみた。
その効果がようやく出てきたのか、このごろ、気持も体も、まあまあ調子が良くなってきたようで、体を動かすことも楽しい。
なるべく歩くようにして、今日は久しぶりに古墳の丘までのぼってきた。
思うに、これまでは、なんでもはっきりしないことはいやで、落ち着かなくて、それで突き詰めてしまっていたのだろう。
それを、曖昧のままでもいいじゃないの、と考えることにしたら、とても楽になり、煩わしいことにも巻き込まれなくなった。
けれども、そうはいっても、現実には、はっきりしなくてはいけないこともあるわけで、そういうことには、逆に、むしろ逃げずに、きちんと向き合うことにした。
嫌な思いをしたくないと思って避けてばかりいたのでは、物事がどんどん難しくなってしまうこともある。
はっきりしなくてはいけないこと、曖昧のまま放っておいた方がいいこと、この選別の判断をきっちりとすることにした。
そうして、自分と約束をする。
これだけはやる。こういうことはやらないと。
するとね、どっちかを選ぶだけだからシンプルだし、頑張れる。
結果、約束は守られるんです。
小さなことでもいいから、そうやって一つ一つ片付けていくことにしていると、いつのまにか、だらだらと手をつけずに無為にすごしていた時間から解放されて、気持が満たされていく。
ちょっとだけ考え方を変えてみたら、いっときはいてもたってもいられないほどにメタメタになっていた気持もどうやら波がおさまってきたようで、このごろは、なにをしていても楽しめるようになってきた。
空をみればきれいだなあと思うし、花を見れば健気だと思う。
猫をみればいじらしさに胸がキュッとなってしまうけれど、それもまた、猫も自分も生きているからこその気持。
そんなふうに日々、足許をみながら暮らしているうちに書くことも少し変わってきたようで、10数年ぶりに書いてみた小説も以前に比べると、メリハリができてちょっとおもしろくなってきたみたい。
そう思っていたら、夏に応募した短い小説が予選を通っていた。
予選くらいで喜ぶなよと、昔の私なら、たぶんそう考えただろうが、今はとてもうれしいことである。
自分の書いたものを読んだ誰かが理解してくれたのだと思うと。
このごろは小さなこともうれしくて、そして気分もいい。
親しくなった近所の仲間たちや、話し相手ボランティアの会の人たちとの会話には、さわやかな楽しさがある。
苦労して立ち上げた猫の会を離れることには未練があったが、モラルハラスメントをしてくる相手から離れてよかったと、今ではつくづくそう思う。
あのままひきずっていたなら、ほんとに病気になっていたかもしれない。
いい気分を、このまま来年に引き継ぐことにしよう。