なにかを成すときには、ひっそりとするのがいいようだ。
だって、そのほうが落ち着いてできるから。
口に出したほうがいいという人もいるが、自分の場合は、そのプレッシャーに勝てるかなと思うので。
それから、どうしても限界を感じるときには、それが人間でも仕事でも距離を置くほうがいい。
我慢をしていると、結局はさらに事態は悪くなるようだ。
不眠に陥ったり、いらいらしたりで、ろくなことがない。
だから、静かにすっと引く。
すると、しだいに落ち着いてくる。
おちついてくると、それまでぐちゃぐちゃになっていた思考が一つにまとまってきて、今、するべきことは何かということが、ぼんやりと見えてくる。
するべきことといっても、べつにたいそうなことでもない。
たとえば、毎日することを決めるとか、昨日よりも動けたとか、昨日は思いつかなかったことがひらめいたとか、とにかく昨日よりも進歩できたことを心にとめてみる。
するとね、よく眠れるようになってくる。
学術的見解はよくわからないが、自分の経験でいえば。
正直、正月から体調を崩したのは、たぶん不眠のせいだろう。
暮れから正月にかけて、花猫の会の立ち上げでかなり無理をしていたから。
会員を集めることから始まって、市役所との協議、ポスターの作成、寄付の口座を作るためにあちこちの銀行を回った。(いまどきは、寄付の口座を作るのはかなりハードルが高い。マネーロンダリンクの問題があるのだという。)
社会勉強にはなったが、体はかなり参っていたようで、正月早々から寝込んだ。
頭にも耳にも心臓の鼓動が鳴り響いて、まるで一日中頭をこづかれる拷問にでもあっているような心境だった。
拍動性の耳鳴りだと診断され、薬を貰って飲んだら、今度はその副作用に悩まされた。
それ以降も、会が軌道になるまではなんやかやと雑用に振り回されて、疲れているのに眠れない。
しかたなく入眠剤を飲む日が続き、今度はその薬のせいでまたおかしくなるという繰り返し。
花猫もようやく軌道に乗りつつあるのをみて、少し距離をとることにしたら、とたんに眠れるようになり、入眠剤も飲まなくてもいいようになった。
自分でも信じられないくらいに回復したのをみて、やっぱり、我慢はやめようと決めたのだ。
もちろん、我慢も時には必要だろうが、あまり続けてはいけない。
必ず体のどこかに、異変があらわれる。
もういいよ、よく頑張ったよ。
そんなふうに自分で自分を誉めてやって、誰にも成果を認められなくたって、それでいいのだと思うことにした。
そう考えられるようになって、ようやく、のびのびと息ができるようになったのです。
きっと器が小さいんだろうな。
そう思いながら、ひっそりと山肌に一本で咲く桜のようになりたいと思ったのです。