大きな組織であっても小さなグループであっても、波風は必ず起きるもの。
不満が何かのできごとをきっかけに少しずつ膨らんでいき、ほんの小さなくすぶりだったものが火種となって燃え始める。
慌ててあとから弁明をしても、火は消えるどころかますます広がっていき、自然に消滅するのを待つしかなくなる。
そんなことが起きると、ついつい興味を惹かれてしまうのは私だけだろうか。
少子高齢化問題で、経済学者のN氏は「老人の集団自決しかない」という発言をしたそうな。
そして、騒ぎは広まり、彼の発言は国会でも取り上げられた。
N氏は騒ぎが起きたときに、自分の発言の真意を、「年老いても、いつまでもトップの座に居座り続ける人たちのことを指したのだ」と弁明したというが、ついに出演していたCMを降板することになった。
確かに、政治家でも企業でも、いつまでも権力の座に居座り続けたがる人がいる。
見ていて、見苦しい。
けれども、本能で生きる動物たちは違う。
老いても、戦い続ける。
戦えなくなったときは、みずから姿を消す。
そんなことを考えていたときに、アズキの反乱が起きた。
ふじ子が、暴れん坊の大ちゃんに追いかけられて自分のティリトリーを追われ、あずきのティリトリーに入り込んでしまったあと、しばらくは二匹の小競り合いが続いていたのだったが・・・。
しだいに距離が近づいて、あずきのほうからふじ子に近づいて舐めてやったりしていたので安心していたら、先日、波乱が起きた。
ふじ子がようやく人の手に触れられることに慣れてきたので、背中を撫でてやっていたときのことだ。
茂みに隠れていたアズキが突然やってきて、ごろごろと喉を鳴らしているふじ子に唸りだした。
起き上がったふじ子が、「なんで? 昨日はアズキばあちゃん、あたしのことを舐めてくれたじゃんか」と、怪訝な顔。
すると唸っていたアズキが、ふじ子をめがけて突進し、慌てて捕まえたが止まらない。
するとふじ子は、遊びではないことに気づいて逃げ出した。
すかさず、アズキは走って追いかけた。
人間に換算すると、80歳は超えているアズキが全速力でふじ子を追いかける。
ふじ子、あわてて山の方へと逃げるが、勝手知ったるアズキの方が上手で、ふじ子を追い詰める。
ふだんはヨロヨロ歩いている年寄り猫のアズキの迫力は、私を圧倒し、しばらく呆然とした。
そして、ふっと気づいたのだ。
私がいつもアズキのことを撫でてやり、なにかと話しかけ、気にかけているのに、自分の眼の前でふじ子を可愛がっているのを見て焼きもちを焼いたのではないか。
きっとそうだ。それにしても、ヨボヨボしているアズキが、猛然と走って行く姿を見たのは初めてだった。
捕まえて抑えても収まらないエネルギーが、アズキの体にみなぎっていた。
すぐにでも保護しないことには、明日の朝にでも死んでいるのではないかと不安に思っていた老猫に、力が沸き上がり、眼が光る。
自分も、もうじき、75回目の誕生日を迎える。
ちょっとしたトラブルがあり、思いきってしばらく休養をとることにしたら、急に気持が楽になり、すっと体が軽くなった。
気づかないうちに、ずいぶんと重たくなっていたんだな。
アズキを見習って、体に炎をともしてみようかしら。