猫の眼はくるくる変わる。
その眼がときおり、哀しそうな視線を向けてくることがある。
そんな視線に出会うときは、はっとして、思わず体の動きが止まってしまう。
先日、雨の夕方、風に流されて激しく降る雨のなか、公園に出向くと、いつもは先に出てくるふじ子の姿がなかった。
(私は、猫の会を離れてからも、個人的に、ときどき、とくに雨の日などには様子を見に行くことにしている。)
それで先にアズキの名前をよび、雨を避けてあづま屋で餌をやっていると、いつのまにかそばにきていたふじ子がじっとこちらを見ていることに気づいてはっとした。
いつもなら、「あたしも~、早くごはんちょうだいよ~」というふうに無邪気に声をあげて近づいてくるのに、どうしたことか、その時は哀しげな眼でじっとアズキと私を見たまま動こうとしない。
「どうしたの、ふじ子、こっちにおいでよ」
そう声をかけてあわてて餌を用意してやると、ようやくそばにきて食べ始めた。
その様子を見て、ふっと、自分の子供の頃のことを思い出した。
明るくて元気がよかった姉とくらべて、私は地味で暗い性格だった。
物陰から、いつも人の輪の中にいる姉を見てはひがんでいたような気がする。
どうして、自分は姉のようになれないのかと。
アズキとふじ子にも似たようなところがある。
いろんな人に可愛がられているアズキやモミジとくらべると、ふじ子は地味で、人間とは距離を置いている。
ふじ子はたぶん愛を知らずに育ったのだろう。
いつからか公園に住むようになり、アズキの縄張りに入ってきて、小競り合いの時期を経て、アズキがふじ子を受け入れ、ふじ子の体を舐めてやっても、しばらくは、きょとんとした顔で固まっていた。
そのふじ子も最近は自分のほうからもお返しをアズキにするようになり、二匹の関係はいい感じになっていた。
けれども、私がついつい高齢のアズキのほうにばかり優しくしてしまうので、ふじ子はちょっといじけてしまったのかもしれない。
「あたしだって、雨の中、さびしかったんだよ~」とでも言いたげに。
「ごめんね、ふじ子。これからは一緒に名前を呼ぶよ」と帰りぎわに声をかけて帰ってきたのだけれど、ふじ子がじっと私とアズキをみつめていたまなざしは心に貼りついたままだった。
私が憧れていた姉は、いろんな意味で、私たちきょうだいのお手本だった。
ある日、姉と私、妹の三人で町へ行くバスを待っていた時のこと、なぜかイライラしていた私は妹に当たり散らしてしまった。
そのとき、姉は私にいった。
「そんな眼で人をみるものじゃないわよ。なんだか哀しくなるから」と。
おとなになって、たがいに家庭を持ってからも、姉は看護師という仕事を長年続け、定年となってからも、近所の病院で仕事を続けた。
ちゃんとしている姉と、仕事といっても、その場限りの仕事を転々としていた私。
おとなになってからも、姉ちゃんはやっぱり姉ちゃんのままで、私はいつも姉の背中ばかり見ていた気がする。
先日のふじ子の視線は、私の子供のころの視線だなあと、きっとそう思ったから、たぶん私はドキリとしたのだろう。
そして私は、ふじ子だけでなく、ミーナにももっと優しくすることにした。
外でけなげに暮らしている猫たちのことを思うと、そちらのほうにばかり気がいきがちで、家のなかで暮らすミーナにはちょっと雑な態度で接していた気もする。
「おまえはね、外で暮らす猫に比べたら、うんと幸せにきまっているんだから」と決めつけていた。
外から私が帰ってくると、ミーナは、しきりに私の靴やズボンの裾のあたりの匂いを気にする。
そこはふじ子がしきりに体をこすりつけてくる場所で、たぶん、しっかりふじ子の匂いに染まっているからだろう。
きっとミーナは、私が外で自分以外の他の猫を可愛がっていることに気づいているこことだろう。
ミーナにだって辛いことはいろいろあったのだ。
相棒をなくし、母親も死に、一緒に暮らして自分をかばってくれていたグレ子とグレ男を私が捕獲して、近所の保護猫ボランティアに託したことで、家族だった猫仲間からすべて離れてしまった。
猫も人間も、生きていく道の先には、思いもかけないことが待っている。
忙しくてめったに電話をかけてくることもなかった姉からの電話がたまにくるようになった。
私のほうから相談事などがあって電話をすることが多かったはずが、この頃は逆に、姉が電話をかけてくるようになった。
あいかわらず明るい声で笑いながら。
「私ね、認知症だって。認定されちゃった」と、まるで不安を吹き飛ばすように、明るい声で言う。
そして、姉は、ちょっと心もとなくなっている記憶をとりあげては、昔のことなど話してくる。
それで私は、いろんなことをしてくれた姉に少しばかり恩を返せているかしら、と考えながら、うんうんと返事をする。