パソコンが壊れてしまい、この二、三日はひさしぶりにパソコンから離れた生活。
穏やかな時間を過ごすことができた。
それで、新しいパソコンを買うのもどうかと思い、とりあえず夫のパソコンを共有することにした。
パソコンのシェアリング、というわけです。
シェアリングといえば、最近、善意のシェアリングを知りました。
去年の今頃は公園猫のシロのことで頭がいっぱいでしたが、日向っ猫さんの善意の手が差し伸べられて、保護、手術、そのあとの飼育まで引き受けてくださるということになり、まるで奇跡のように私には思えたものでした。
さらには、寄付をしてくださる方々もいて、本当に善意というものの有難さを知ったものです。
その日向っ猫さんに今度は、別な方が善意の手。
ミーちゃんという保護猫が腎臓の重い病気を抱えていることを知り、手術費用も高額なことから、彼女はかなり考えこんでいたのですが、なんと、そのミーちゃんを引き取ってくれる人が現れたのです。
病院通いも手術費用も引き受けてくださる人が。
私が日向っ猫さんから受けた善意を、今度は、日向っ猫さんが他の人から受ける。
奇跡はめぐり、善意は善意を呼んだのです。
その反対に、悪意が悪意を呼ぶ現象も。
あずきの保護を巡って、餌やりさんが強く反対。
なにかと難癖をつけてくる。
それで、しばらく様子を見ることになったのです。
悪意が向かってきているので、念のため、あずきとは距離を置くことになった。
相手は一人ではない。
あちらは、悪意のシェアリングだ。
このところ、あずきの様子もだいぶこなれてきたので、来週あたりに保護をと思っていたところだったから残念でたまらないが、無意味なトラブルに巻き込まれるのを避けるために、時間を置くことにした。
高齢なことを除けば、幸いあずきは今のところ元気だし、急を要する事態ではない。
それにしても、自分の考えやメンツにこだわり、本来の猫のことは二の次という人のことは理解できない。
もしも、お互いに気持のシェアリングができたなら、どんなにか強いパワーになることでしょうに。