おばちゃんは、雪ん子だった。
なぜかというと、雪が降った朝には、はしゃいで、一番に家を飛び出していくからだ。
そうして、家の前の広い畑に行き、まっさらの新雪の上に、足跡をつけて回る。
めちゃくちゃに駆け回るから、足跡はなんの形にもならない。
「ねえ、おばちゃん、ちゃんと、こんなふうに歩いてよ」
私は、おばちゃんに、まっすぐに歩いたらこんな形になるんだよと教えてやる。
なのに、おばちゃんは、私がきれいに足跡をつけたその上を、また目茶苦茶に歩くのだ。
だから、腹を立てる私は怒る。
「ちゃんと歩いてって、言ってるべ」
でも、叱ったすぐあとで、しまった、と反省する。
だって、おばちゃんは、もしかするとちゃんとまっすぐに歩けないかもしれないのだから。
今でいう、知的障害者なのだった。
じいちゃんとばあちゃんの末の子供だったおばちゃんは、それで、お嫁にも行けなかったのだ。
だから、私が生まれてからもずっと一緒に暮らしていたのだが、私が中学に入った頃には施設に入り、正月や盆のときにしか会えなくなった。
さらには私が上京し、結婚し、すっかり大人になってからは、数年に一度くらいしか顔を合わせることがなくなった。
先日、そのおばちゃんが死んだという報せが、兄から届いた。
じいちゃんやばあちゃんもとっくに死に、私の父母も旅立ち、もう兄しかおばちゃんのことを世話してくれる人はいなかった。
おばちゃんは、着る機会もなかった婚礼の時に着る着物を着させてもらい、微笑んでいたという。
棺のなかで、とてもきれいで穏やかな顔をしていたというおばちゃんは、雪が深い季節にいくなんて、やっぱり最後まで雪ん子だったんだね。
炬燵の端でみんなの話を聞きながらにこにこ笑い、いつもうなづいていたおばちゃんが、もしもここにいて、ミーナがこたつの端で寝ているのを見たら、きっとやっぱりにこにこして、眺めていただろうなあ。