呪縛が取れた!

高校野球が終わると、とたんにセミの鳴き声も静かになる。
じっくりと見る暇はないときでも、その時期になると気にして、テレビをつけている。
とくに東北の出身校にはついつい応援してしまう。

        画像 インターネットより

初めはもちろん自分の出身が東北だからだったからだが、いつからか、東北は優勝ができないという呪文のような言葉が気になったのも、もう一つの理由。
その呪文はなんと100年以上も破られなかったというのもすごいことで、なにか怖ろしげなものも感じていたほど。
けれども、今年はその呪文を、鮮やかに仙台育英高校が解いてくれた。

使い古されて、けれど脈々と言い継がれてきた、「優勝旗は白河の関を越えられない」という言葉。
それが、決勝まで進んだ東北の選手たちにどれほどの重しになって、動きを固くさせていたことか。

two person holding white baseball ball

でも、今年の選手はなにかこれまでとは違っていた。
軽々しく動いていた。
「白河の関・・・」という言葉など彼らにはあまりのしかかってはいないような。
というか、淡々としていて落ち着きさえ感じた。

そして、呪縛の言葉はみごと砕かれ、彼らのおかげでこれからは、東北出身の選手たちは、その言葉から解放されることになる。
そうゆうことを考えると、言葉というものの呪縛はなんと大きいことかと思うのだ。
最初に誰かから発した言葉は、どんどん肥大していき、化け物のようになって人の心にのしかかってくる。

【桔梗の花を浮かべて涼し気!  Iさんの庭】

だから、昨日の仙台育英の選手たちには、なんだかお礼を言いたい気持ち。
自分も、ある言葉にずっと縛られていたものだから、呪縛はいつか解けるのだというのをまのあたりにみて、元気が湧いてきた。

そう、いつまでも、呪縛に囚われていてはいけない。呪縛の言葉と反対の言葉を浮かべよう。
今、できることをやっていけば、そうすれば、きっと自然に道はみえてくるはず。

【夏の富士】

名の知れた人やメディアによく出てくる人の言葉はつい鵜呑みにしがちだけれど、一度、自分の頭の中のフィルターにかけてからにしないと。
さっそく、今日からはまず、これはこういうふうでなくては、としらずしらず凝り固まっている思考を押しやって、気楽に物事を考えてみようかな。

【しろ、再びまた、距離が縮まってきた。】

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。
購読料はかかりません。アドレスが公開されることはありません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!