早起きは三文の徳って、ほんと?

コゲラ(キツツキ) 昨年みかけたキツツキの子供かな?

夜更かし朝寝坊タイプの自分には、たぶん縁がないと思っていた「早起きは・・・」の言葉。
でも、けさはとんでもなく早い時間に眼が覚めてしまった。
それは、昨日の夜に、なんだか体調が悪くて早く寝てしまったせいなのだが。

それでそうっと起きて居間のストーブのスイッチを入れ、少し温まったころに起きてみると、三毛子が寝ぼけまなこで、なあに、という顔でこちらをみていた。
いつもなら、まだコタツのなかでしっかり寝ている時間だから、無理もないよね。

三毛子に餌をやり、起き抜けのミルクコーヒーをゆっくりと味わいながら、一人きりの時間を堪能。重い夜があけていき、かわりに白々とした朝がやってくるのを感じていた。これも一つの徳なのかな、と思いながら。
ちなみに三文というのは、現在の金額に換算すると100円くらいだそうだ。そして、徳は損とか得の意味ではなく、気持のこと。

ああ、こういう時間もいいなあと思いつつ、本を出したりパソコンをいじったり。そのうちに外が明るくなっていく気配がして雨戸をあけると、うっすらと朝靄がかかり、冷たいが新鮮な空気が流れ込んでくる。

淀んでいた家の中の空気が、さわやかな外の大気と入れ替わる。体も頭もすっきりとしてきて、ここ数日の不調も吹き飛んだ。これが二つ目の徳。

それで、さらには思考も明確になって、このところ気にかかっていたこともすっと消えた。それは、よくあることで、言うか言わないかと迷うようなことだった。

少し前から、すぐ近くの家で工事をしているのだが、そこに出入りする工事関係の車が我が家の正面に停めるようになった。ぎりぎりのスペースはあけてあるのだが、車を出すときはいいとしても、帰ってきてバックで入るときには往生する。特に対向車がきたときは焦る。塀にぶつかりそうになる。

しばらくのあいだ我慢をしていたのだが、工事は3月まで続くというので、3日ほど前に思いきって話をしに行ってみた。すると、出てきた工事の人が意外なことに柔らかなオネエ言葉で、こちらは拍子抜け。なにかほのぼのとするほどいい人だった。相手も、どこに停めたらいいのか困っていたようで、話はついた。

池の近くの木立に止まっていたジョウビタキ わが家にやってくるのは地味な色のメス

言ったあとで、言わずに我慢をしていればよかったのかなという考えがよぎったが、言わなければ、ずっと、車を出し入れするたびにイライラしていただろうと考えると、やはり言ってよかったのだという結論になったというわけで。

それに、工事の人イコール強面の人という先入観を持っていたことを自覚して反省。それが三つ目の徳。

紅梅白梅

さらには、風は冷たかったが、朝食後、蓮華寺池公園に行ってみると、なんとまあ、すっきりとした青空で、どこもかしこも立春を過ぎたばかりの光を受けて輝いていた。眺めていると心も澄んでくるようで、それは、おまけの徳。

で、宵っ張りの朝寝坊はやめようかと思います。

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