なにか、できることがあるはず。

【古墳の丘から見えた満月】

自慢じゃないけど、私にはないものがたくさんある。
ないものばかりだと、言ってもいいほどに。

でも、困難を前にしたとき、それでもできることはなにかあるはずだ、と思うようになってから、少し力が沸くようになった。
以前なら、どうせ、だめに決まってるとか、だって自分には経済力もないし、コネもないし、もちろん、美貌や若さもないし、何もないと決めつけていた。

【陽だまりが救いだね】

何もないときめつけて、まわりと比較しては落ち込んでばかりいたある日、公園に散歩に行って、老いた猫に出会った。
冬の冷たい風が吹きすさぶ日だった。

その猫が弱って、助けをよぶように鳴いているのを見て、胸がしめつけられた。
お腹が空いているようで、眼から涙が落ちていたから、たぶん病気で、もう長くはない様子だった。

せめて、なにか食べさせてやりたい、そうじゃないと、この猫は今にもきっと死んでしまうだろう。
その公園には猫がいるので、行くときには少しばかり餌を持ち歩いていたから、やろうとした。

【この子は、問題児の大ちゃん。わあわあ鳴きながら追ってくる】

だが、そのとき、「餌をやらないで! 猫にかまわないで!」と、餌やりさんに怒鳴られた記憶がよみがえった。
彼女にみつかったら、また一悶着だ。

そのときの険しい顔と怒声を思い出し、眼の前で、今にも死にそうになっている猫を前にして、伸ばしそうになった手を引っ込めてしまった。
そして、私は、背中に追いすがる悲しげな声を聞きながら、立ち去った。

【モミジは、とても奔放】

そしてその猫とは、もう二度と会うことはなく、助けを呼んでいるような、あの老猫の切なげな声と顔を何度も思い出した。
あのときに大事だったのは、餌やりさんへの遠慮ではなく、あの子の命を助けることだったのだ。
その後悔を、私はずっとひきずった。

それから何年かたち、今日、ようやく、公園猫たちのための新しい会ができあがった。
「花猫の会」という名前だ。

ほかの人たちに手を出させないような独善的なやり方は排除し、開かれた会にしようという思いのメンバーが集まって、市役所からの協力を前提に、これからのことを話し合った。
できるかぎり野良猫をふやさないようにして、今いる猫の生を全うさせましょうという趣旨で。

【皮膚がんになったシロは、手術を受け、今は再発もなく、日向っ猫さんのところで暮らしている。】

なにもないから、なにもできない。
自分のことをそんなふうに決めつけていたけれど、でも、それでも、なにかできることがあるはずだと、少し考えを変えてから、人との交わりもふえ、心のやりとりもふえた。

もう、あの老猫のときのような後悔はしない。

【この子は、窮屈が好き?】

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