なにもない日に思うこと。

かぐや姫たち

ひさしぶりに、まる子さんからこんな写真が届きました。ベランダに出るようになり、風や日差しの気持ちよさを思いだしているようにみえます。古墳の丘の石の上にいたときにも、よくこんな顔をしていたっけ。よかったね、のーんびり。

私は、三度目のワクチンを接種してから熱が出て、ずっとこもりきり。一度目も二度目も熱が出たが、今回はちょっと重い。ぐたっとして寝たり起きたり。だから外には出られず、家の中が散らかっても見なかったことにしようっという気分。

【可睡斎には、コロナ除けのアマビエさんも飾ってありました。】

外に出ないから退屈で、可睡斎で頂いたひな人形のお道具を玄関に飾ってみたり、眩しくなってきた外の日差しに煽られるようにして、ぼちぼちと冬物の整理をしたり。

【これ、驚いたことに、引き出しも引き戸もあくんです】


でも考えてみれば、何もない日のほうが何かある日よりもはるかに多い。だから、そういう日の過ごし方が人生を左右するはず。気持が外に向かないなら、なにかに熱中できるというもので、はて、といろいろ考えてみる。

はぎれ屋さんで手に入れた布で、三毛子にかわいい座布団でも作ってやろうかなとか、春物の洋服を出してみては、処分する服を選んだり。
といっても、新しい洋服はほとんど買わなくなったから、服は減る一方。くたびれたフリースは、公園猫のアズキ用に設置したハウスの敷物にしようと考えている。

このアズキは、支えあうようにしてずっと一緒だったヒジキを失ってからも、老いた体でけなげに頑張っているので、けっこう心を寄せている人も少なくない。
体毛も地味、顔だって、かわいいとはいえない。でも、しぐさに愛嬌があって愛されている。見習いなさいと教えられる。

ヒジキと一緒にいた小屋も古びて釘が出ている様子なので、小さなコンテナを改造したハウスを置いてやり、心ない人に簡単に持ち上げられないように杭を打って固定した。どうやら入ってくれている様子で、一安心している。

ときどきラインで写真を送ってきてくれる、中学の同窓生であるKさんからの写真は、春の息吹に満ちている。ぼんやりと過ごしているうちに、外はどんどん春になっている様子。明日あたりは外に出られそう。
ひさしぶりに外に出たら、きっとまぶしいだろうな。

ここ数日、三毛子はあまり遊んでもらえず不満顔。キャットタワーでひなたぼっこをしている三毛子からふっと視線を移すと、床にくっきりとシルエット。やっぱり猫の形って神秘的です。

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。
購読料はかかりません。アドレスが公開されることはありません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!