まだ8月の暑さ真っ最中のさなか、一つの決心をし、ついに10月末にやりとげた。
といっても、対外的なことではなく、自分との約束の話。
暑くて二階にあがるのも億劫だったこの季節。
使っていない端の部屋は、主に本や昔に書いた原稿を保管したりする部屋になり、たまにはミーナの昼寝部屋になって、ほとんど掃除をする気にもなれずに荒れ放題だった。
ある日、暑さはさっぱりおさまらない中、それでもその部屋のあまりの惨状に我慢ができなくなり、古い原稿や同人誌などの整理にとりかかり・・・ついつい、読んでしまうという繰り返し。
そして、気がついた。
これ、誰が書いたの?
見れば自分である。
こんなんが書けたんや、あたし。
いつだったか嫌になって放り投げてたもんなあ。
サボっているうちにすっかり腕が落ちたなあ、などと思いながら、埃まみれでミーナの枕になったりしていた原稿の束を整理しているうちに、ふっと、このままじゃあかわいそうじゃないかと思ったわけで・・・。
それで、これらを整理してとりあえず、ちゃんとした作品にしあげてみようと決心。
読み直して気に入った作品を選び出した。
それで、エッセー風のものを4編、小説は短いのやら長いのやら3編を10月末までにしあげるという計画を立てた。
もちろん、基本の原稿を書き直したわけだから、できたようなものだけれど。
ほっと一息ついて気づけば、さすがに涼しくなって、11月。
本棚や原稿なとは一階に降ろして整理し、しあがった原稿もきちんとまとめた。
自分との約束を、めずらしく果たすことができた。
さて、これをどうしようか。
文學会新人賞(文藝春秋社)の佳作を頂いたことやドキュメンタリーに入賞したのもずいぶん昔の話。
いまさら過去のことを持ち出したところで、どうにかなるわけでもないし、時代の好みもだいぶ変化している。
自費出版も考えたが、友人の話を聞くに、たいていは家の中に売れない自分の本が山積みとのこと。
だから、この怒涛の3ヶ月は私にとっては、記念すべき3ヶ月になったのだからそれでいいということにした。
そのうちに、なにか気軽な公募でもあったら、出してみてもいいし。
けれどもさすがに三か月の疲労は思ったよりもひどく、眩暈が再発して、いっときは這って歩いていたほどで、ミーナがびっくりしていた。
でも、一番だいじなのは自分との約束だと思っているから、自分なりに凄いじゃないかと納得し、さあつぎはどんなことをするかい、と今は思案中。
手始めにまずは体のメンテナンス。
驚いたことに、長時間パソコンに向かって座っていると、眩暈だけでなく、足にもきて、まともに歩けなくなっていたんです。
これではいけないと、反省し、今はマーチにばかり頼らずに、なるべく歩くようにしている。
富士山はまだ雪をかぶっていないけれど。
それでもやっぱり秋だなあ。
まずは雑草だらけの庭の手入れと木の剪定だ。
それから窓や網戸の掃除など。
生きるということは、きっと、毎日なにかしらの手入れや片付けをしていくことと切り離せないことなんだね。
長年私に放りっぱなしにされ、空しさや諦めの溜息にあえいでいた私の分身のような原稿の整理もできたことだし、自分との約束も守れて決着もついた。
あまりいいことがなかった今年だったけれど、これで、「終わりよければすべてよし」としましょう。