おじさんのほほえみ

日本人は、微笑みに慣れていないんだなあ・・・。
日本の政治家が外国に行ったときのニュースが流れるときに、よく感じることですが。

ひと昔というか、以前には、笑っているとヘラヘラしていると思われがちだったから。
意味もなく笑うな、と言われることもありますし。
小馬鹿にしていると思われるかもしれないし。

そんなわけで、ハグとなるとなおさらです。
たとえば、外国流の挨拶であるハグなども、日本人は慣れていないから、政治家などが外国に行ってそれをするのを見ていると、ぎごちなくて気の毒になります。

日本人は、日本流の挨拶でいいではないかと考えるけれど、そういうわけにもいかないのでしょう。
相手の国に行けば、相手の国の流儀に従うほうがいいのだろうから。

そういう自分だってただのBABAだから、挨拶でハグなどしたことはないのですが、なぜだか、老いた母にはしたくなったものでした。

デイサービスに通っていた母に会うために郷里に帰った時には、母と一緒に早めに施設を出て、帰りは母の好きなピザを食べにレストランに寄り、それから家へ帰ることにしていたのでした。

遠く離れて住む私が、ひさしぶりに会う母に思わず駆け寄って初めて母にハグをしたとき、母は戸惑っていたようでしたが、されるがままにして照れくさそうにしていたのをよく覚えています。
それからは、母に会うたびにハグをし、母もそれを受け入れていました。

手を伸ばしたその背中の温かさや厚み、鼓動、そういうものを感じると相手のことを近しく感じることができて、より大切にしたいと思うのでした。
父へのハグはついにしたことがなかったけれど・・・。

このごろ、うれしいことがありました。
公園の猫たちに餌をやってくれている、例の謎のおじさんのことです。

彼はふじ子が凍死してしまったことを気にかけていて、モミジに、簡易的なハウスをこしらえてくれました。
初めは段ボールを横にした簡単なものだったけれど、しだいに手が込んできて、とても快適な感じになったんです。

【風来坊の大ちゃん】

それをモミジはとても気に入ったらしく、大好きなおやつをあげても、そそくさとハウスに入りたがるのです。
以前なら寒くても、会うと撫ででほしそうにしていたのが、今は少しでも早く戻りたがるようになって・・・。
暖かそうな敷物を敷いてもらい、きっととても居心地がいいのでしょう。

それにしてもおじさんの変わりようはめざましい。
初めは会っても視線を合わせようともせず、話しかけても無視されていたのです。
それが今では、会うとほほえみ、向こうから挨拶をしてくれるようになって、猫たちへの気配りも細やかなのです。

【モミジの模様は複雑】

なによりもうれしいのは、猫たちのことを、餌をやるだけでなく、気にかけてくれていることです。
ふじ子の死にわりと関心が薄かった猫の会の会員たちとはちがい、おじさんは会員ではないのにふじ子のことを親身になって心配してくれていました。

そして、モミジにも同じめにあってほしくないと思って、ハウスのことを考えたのだということです。
それにしても、視線も合わそうとしなかった人がここまで変わるなんて。

初めの頃には、名前も連絡先も言わないので、みんなから謎のおじさんと呼ばれていたのですが、今では猫たちにとって大きな希望になりました。
きのうも、冷たい風が池の湖面を渡っていくなか、手をあげ立ち去って行くおじさんの後姿を見てしみじみとそう思ったのです。

【紅白の梅】

いつのまにかほほえみを返してくれるようになったおじさんは、猫の会に入るようにまわりから勧められても入らなかったのですが、でも、それは正解だったのかもしれません。

よくあることですが、グループの上に立つ人は、とかく、自分の考えに固執し、違う意見の人や一人で行動をしたがる人を排除しがちですから。

先日、会員でない人は餌をやるなという看板が新しく立ったのを見て、心配になりました。
たしかに正論ではあるけれど、おじさんのように、会には入らないが会員よりも親身になって活動する人が、規則という旗印のもとで刈り取られてしまわないようににと願うばかりです。

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