エックスの投稿に、冷えてきたから、あったかそうなスリッパを買って履いたら、小さなしあわせ感が満ちてきたというような記事があった。
ちょうど私も、赤いチェック模様のモフモフのスリッパに変えたところで、それがとても足に心地よいので、うんうんと共感した。
たかがスリッパということなかれ。
その前に履いていたスリッパがとても履きにくく、さらには歩きにくいので、ストレスになっていたのだ。
それでいつも適当に選んでいたのを今度は慎重に選んで、しかも眼にもあったかそうな赤のチェック模様にしたものだから、なんだか気持までほんわかとしてきた。
あさ、ベッドから起きてスリッパに足を入れるときにも、「まっ、カワユイ」とご機嫌になる。
一日のスタートがいいと、その日一日が調子いいものだ。
ご機嫌に暮らすことがなにより肝心。
それが日々のしあわせ。
「幸福」という活字を眼にすると、幸福がなんだかとても重くなって、大変な努力や忍耐や幸運に恵まれなければ手に入らないもののように思えてくるけれど、足元のスリッパひとつでも、ちょっとご機嫌になれるならわりと簡単なことで、すぐにもできる。
そんなふうに物事をとらえてみると、身の回りのいろんなものに、しあわせが宿っているように見えてくる。
たとえば、庭の小さな花。
日も当たらなくなり、冷たい風に吹かれて、それでもまだ花をつけているのを見ると、おまえさんたち、よう頑張ってはるやん、と声の一つもかけたくなって、チョンチョンと花を切って小さなガラス瓶に入れてやり、それを食卓にかざってみると、花はまた元気を取り戻してくる。
立派で美しい庭にももちろん憧れるけれど、足元の小さな花が健気に咲いているのをみると、ふっと、あたしももうちょっと頑張ってみようかなあ、などと励まされる。
世話をしている猫たちが陽だまりを探して、つかのまの暖かさに体をぬくめて気持ちよさそうにしているのを見るときにも、かわいくてわずかな力でも注いでやりたくなる。
きのうは、ひさしぶりに、気の合う仲間たちとランチを一緒にした。
年齢も育ったところも、現在の環境も、それぞれちがうなメンバーは、いつのまにかなんでも話せるような関係になっていて、あいかわらず話や笑いがとぎれることがない。
それぞれ、さまざまな経験をしたり年を重ねたりしているから、人生に広がりがあって、話が尽きない。
ちょいちょいと、いたずらっぽい話題も出て、まじめすぎないのがいい。
いわゆるくたびれない関係だ。
私には、奈落の底をみていたような時期もあったし、今だって、それほどいいわけでもないのだけれど、それでも谷底にだって、花は咲いているもんなんですね。
そして、寒い季節にも冬の桜は咲くのです。
視線をたまには足元や空に移してみると、しあわせを紡ぐ小さきものに出会えるかもしれません。
そんなふうに小さなしあわせを拾い上げ、日常に編み込んでいけば、きっと味わい深い人生の作品が仕上がることでしょう。
あなたは、どんな色でどんなふうにあなたの人生を編み上げるのでしょう。
※このブログを書いてからいつものように猫たちがいるところに行きました。
すると、バケツをひっくり返したような変なものが置いてありました。
どうも猫のためのハウスのようで、誰かが置いていったのでしょう。
電話番号が書いてあったので、電話をしてみました。
すると相手は、撤去されると思ったのか、激高して・・・。
でも、最後はお互いにわかりあえ、猫談議になり、和気あいあい。
考えてみれば、猫を通じて、いろいろな人と繋がりました。それもまたしあわせことだなあと思いながら帰ってきました。