横浜に住んでいたときには車の免許を持っていなかった。
それで、40代の初めごろに山形に移住したときに、車がなくては暮らしていけない土地柄だと知り、すぐに免許を取り、赤の車(コルサ)を買った。
一人に車が一台の地方である。
私も自分専用の車を初めて持ち、その自由さに感嘆し、時間があるときには車に乗って新しい土地の空気を味わった。
車を乗るときに必ずかけていた音楽が、私の愛するボンジョヴィのロックである。
山形では、永住も考えて家も建てたのだが、10年暮らしてみて断念してなにもかも手放し、そうして今度は大阪に引っ越した。
車も一台だけにし、愛するコルサも手放した。
けれども、引っ越した先は坂の町で、車がないとやはり不便である。
それで、スバルの車(レガシー)に乗っていた夫には通勤に電車を使ってもらい、私は時間が空いた時にはレガシーに乗り、また新しい土地の探検をしにあちこちでかけてみた。
なかでも嬉しかったのは、奈良が近かったことである。
法隆寺や興福寺、東大寺、唐招提寺、薬師寺など、その時によっていろいろな神社仏閣を回った。
小道に入ると、よく猫に出会った。
なにしろ、移り住んだところが大阪といっても奈良に近いところであったから、午後になって急に思い立ってでかけても充分に行けるところばかりで、平日は人も少なく、何を見るにも十分に堪能できた。
なかでも最も感激したのは、興福寺の阿修羅像。
教科書で初めて見たときから、憧れていた神秘の像だった。
実際に近寄ってみて、初めて見たそれは思い描いてみていたそれよりもずっと小さくて華奢だった。
なにを悩んでいるの?
ちょっと眉間に皺を寄せているような表情にみとれてしまい、しばらく立ちつくした。
山形での暮らしから大阪の暮らしになって心は軽くはなっていたが、先のことを思えば不安ばかりで、神社や仏閣をめぐる日々は私にいっときの安寧を与えてくれ、あまり先のことなど思い煩うなという声が聞こえるような気がしたものだ。
夕日がさしこむ法隆寺の回廊はとても美しかった。
ときおり僧たちが行き交う回廊に柱の影が並び、静謐な空気は私を温かく包んでくれた。
そんな日々のなか、やはり小さくて小回りがきく車がほしくなって、マーチを買った。
古くて味わいのある奈良に通いたいばかりに。
あんた、しょっちゅうでかけてるみたいやけど、どこにでかけてはるん?
近所の人に訊かれて奈良だと答えると、その人は、「じゃあ今度は京都を案内してあげるわ」と言って、京都に連れて行ってくれた。
でも、京都は平日であっても観光客であふれていて気ぜわしかった。
やはり、私には奈良の方が合っていた。
奈良に通ったあの日々から、またずいぶんと時が過ぎて、今は静岡に住んでいる。
静岡にきてからは、もっぱら猫たちの世話に通うために毎日走ってくれた。
けれども人間と同じで、車もやはりトシには勝てず、ここ二、三年はあちこち故障しだし、先日はついに、エンジンがかからなくなった。
それで、JAFにきてもらい、ディーラーに運んでもらうことになった。
修理代があまりかかるようなら、もう廃車にするしかないと覚悟をしたが、どうやら修理ができて、戻ってくることになった。
夫がマーチを迎えに行くと、修理をしてくれた人が、「こんなに長く乗ってくれる人はめずらしいです。ありがとう」と言ってくださったそうだ。
マーチのお尻にはあちこち傷がついていて、友人に、この車、満身創痍じゃないの、とからかわれるのだが、私にとっては長い年月、運命をともにした相棒なのである。
なんせ、ともに暮らすようになってから18年もの月日がたち、走行距離も12万キロを超えたのだから。
でも、まだまだ頑張ってもらうつもり。
手入れもちゃんとしてあげなくては。
お帰り、マーチ。
これからも一緒に暮らそう。