古墳の丘の大木、ケヤキのまわりには、いろんな人が集まった。
そこにチビとまる子という親子猫がいたころは、人が集まり、話の輪が広まった。
ケヤキの木は、人々に日陰を作り、風を運んだ。
猫たちが里親のもとへと行った今は、犬たちが散歩の途中で休憩する場所に変わった。
木々のまわりは、笑い声と犬たちの鳴き声に包まれる。
そんな場所で長いこと生きてきたケヤキの大木の一本が弱りだし、枯れてきたので、この春に切られた。
切られたばかりの木の根っこがハートの形に似ていたのをみて、私は、その木に「おいら」と名づけた。
どんなものにも寿命があるのだから仕方がないと思っていたら、ある時、友達が、「あの根っこに新しい芽が出てるよ」と教えてくれた。
驚いたのと嬉しいのとで、早速、駆けつけてみたら、青々とした新芽が根っこの隅から顔を出してるじゃないの。
さっそく市役所にかけあって、まわりにロープを張ってもらい、保護してもらった。
けれど、この夏の暑さにやられて、かなり弱っていたので、毎日、ペットボトルに汲んだ水を持って通っていた。
そのかいあってか、秋にはずいぶんとしっかりしてきて、このぶんだと来年の春にはきっとたくましくなるだろうと期待していた。
けれど・・・。
数日前に行ってみたら、おいらの子供が根元から折られていた。
みるみる、心が冷えていった。
なんで、こんなことするんかな。
こんなことをする人ってどんな人なのかな。
きっといつもイライラしてる人かな。
眼に入るもの、どれもこれも気に入らない人かな。
ストレスが溜まって、なにかに八つ当たりしたい人かな。
それとも、単なる悪ふざけかな。
どれも当たっているようで、どれも当たっていない気もする。
その人は、案外、なんの理由もなく、平然と折ったのかもしれない。
自分以外の命というものに、意味を感じない人。
そんな人がふえている気がするのは私だけかな。
以前、この公園では、猫たちもずいぶんとひどいめにあっていたようだ。
言葉にするのも怖ろしいようなことばかりだ。
でも、一方で、こんな光景に出会うと、ほっとして、思わず笑みが浮かぶ。
いつもありがとう、と胸のなかでつぶやく。
冷えていた心に、ぽっと灯がともった。