猫が25歳まで生きる。それ自体、ちょっと奇跡に近い。
そのうえ、もう動くこともままならなかった猫が、最後にどんなふうにしたものか玄関までたどりつき、私の帰りを待っていたなんて、奇跡にしか思えない。
この猫は、長年住んでいた横浜から山形へ移住したときに、きょうだい猫の黒猫と一緒に保護した猫だった。
見知らぬ土地での暮らしで、猫たちがどれほど支えになってくれたことか。
それから大阪に越して、さらにはこの静岡へ。
黒猫のプリンは14歳で、大阪で天国へ旅立った。
大阪からこの静岡へと、私たちと一緒に越してきたマロンだったが、さすがに22歳をすぎるころからは足腰が弱ってきて、24歳になったころにはいざって歩くようになった。
そのころの私は、古墳の丘のチビとまる子の世話をしに毎日通う日々。
マロンはそのころから、そばに私がいないと不安げに鳴きわめくようになった。
そんなマロンを置いて、夕方になるとその鳴きわめく声から逃れるようにちびまる子のもとへとでかけて行った。
山形の自然の中で育ったマロンは外が大好き。
歩けなくなってからは外にも出られなくなったので、ときどき庭に出してやったのだが、眼もほとんど見えなくなっていたようで、マロンは同じところをぐるぐると回ってばかり。
それでも、外の空気は心地よいのか、くんくんと鼻を空に向けていた。
腎臓を悪くしていたマロンに、私は毎日、10年近くも皮下点滴を続けていた。
果たしてそれがよかったのか、自然のままに委ねればよかったのか、いまだにわからない。
それでも、あまりにも痩せた体に針を刺すのが心苦しくて、亡くなる半年ほど前からはさすがにできなくなった。
そして、最後の春ごろ、マロンはついにほとんど動けなくなった。
もう長くはないだろうなあと思いながらも、チビまる子の餌やりを休むわけにはいかない。
それに、チビとまる子のもとへ通い、元気な2匹と一緒にいる時間を持つことで、私は気分を変えることができていた。
公園に藤の花が咲くころだった。
いつものようにチビまる子のところから帰り、玄関をあけたとき、信じられないような光景を眼にした。
なんと、もう眼も見えず動くこともできないはずのマロンが、玄関のマットから今にもずり落ちそうになっていたのだ。
「いったい、どうやってここまできたの?」
「だって、居間のドアはしまっているじゃないの。どうやって廊下をぐるっと回ってここまでこれたの?」
つぎつぎと疑問が湧いてきたが、とにかく抱き上げて居間に連れ帰った。
ただ抱きしめているうちに、マロンは最後に大きな息をして終わった。
きっと私の帰りを待ちわびて、最後の力をふりしぼって、いざりながら、少しずつ少しずつ玄関まで進んで行き、私が帰ったのを確かめて安心して旅立ったのだろう。
まにあってよかった。あと2か月で、25歳になるときだった。
マロンとこの家に引っ越してきたときは、庭の木々はすべて切り倒され、ただの土だけの庭だったが、その切り倒された木々からは、これも奇跡のように小さな芽が出て育ち、今年は金木犀が香っている。
西の庭には夏の朝、知らないうちにクチナシの花が咲いていた。
ただ自然に任せているだけの庭は、今、金木犀の匂いに満たされている。
花好きのマロンがそばにいたなら、きっと空をみあげて鼻をひくひくさせていただろう。
奇跡を起こしたマロンの気配が、まだかすかに残るこの家で、ミーナがやんちゃに動き回る毎日。天国から眺めているだろうマロンは、どんなことを感じているのかな。