冬になって、厳しい寒さがやってくると、花ちゃんのことを思いだす。
まだ小さくて、人間の手が必要だったはずの子猫。
でも、私はその子に会ってはいない。
花ちゃんが捨てられていたという施設を、私はそのころ休んでいたから。
その施設は、以前に住んでいた山形県のN市にあって、知能に障害がある人たちのためのもの。
集まってなにか作ったり、ゲームをしたりして交流を図る場所だった。
青森にある実家の叔母が知的障害者で、生まれたときからずっと一緒に暮らしていたから、少しでもなにかの手伝いができればと考えて、通い始めたのだった。
けれど、雪の季節になると、私は鬱気味になってしまう。
花ちゃんが施設に捨てられた時期にも、私は施設に通えなくなっていた。
冬の初めごろだった。
まだ半年かそこらしかたっていない子猫が、施設の前に捨てられていたことを、施設長であった友人から聞いた。
その友人は猫好きで、とても見過ごすことができず、餌をやり始めた。
居ついた子猫の花ちゃんは、施設に通う人たちにも可愛がられるようになったという。
それで友人は、その施設の物置に毛布を運び、面倒をみることにしたのだが、なにしろ、暖房もなにもない粗末な物置き小屋である。
その年はとくに雪が多かった。
そのため、友人は私に、花ちゃんのことを飼ってくれないかと打診してきた。
自分の家にはすでに三匹もいて、舅が反対しているからと。
けれどもそのころの私は冬になると鬱になり、すでに保護猫が二匹いて、移住したその土地から出ることも考え始めていたから、無理な話だった。
それで友人は、そのまま物置小屋で、花ちゃんを飼うことにした。
いよいよ寒さが厳しくなるころで、彼女はそれでもカイロや毛布を重ねて、なんとか花ちゃんの命を守ろうとしていたようだが、冷え込みの厳しかったある朝、彼女から、「けさ、出勤したら花ちゃんが死んでいた」という電話があった。
たぶん私が猫のことに関わるようになったきっかけは、花ちゃんのこともあるのかもしれない。
このところの寒さを肌身に感じる時、抱いたことも見ることもなかった花ちゃんのことを思い、花ちゃんのような猫たちのことを考えてしまう。
蓮華寺池公園の猫たちも、今、厳しい寒さに晒されている。
でも、猫たちは、呼ぶと小さな声をあけながら近づいてきて、そうして、一生懸命食べる。
少しでもたくさん食べなくては、寒さで死んでしまうことを本能的に感じているからだ。
微々たる力しか持ちえない私はただ、猫たちに少しでもたくさん食べさせて、そうして、頑張ろうね、と声をかけ、撫でてやるだけだ。
それでも、猫たちは満足そうにスリスリしたり、ほっとして毛づくろいを始めたり、それ以上のことを望まない。
いつもの餌やりさんが午前中しかこられなくなり、夕方、猫たちは腹を空かせている。
さいわい、数人の方たちが思い思いに餌をやってくださっている。
外で暮らす猫たちに、早く、あったかい春の光が訪れますように。