横浜の小説教室に通っていたころに、講師がよく言っていた言葉がある。
「みなさんは、たとえばオオカミとかトラとか、そういったものを怖いと思うでしょうが、一番怖いのは人間ですよ」
講師は戦争を経験した人だった。
それはずいぶん前のことだが、今でも、なにかあるたびにその言葉の深さに思いいたる。その講師は小説の書き方というよりも、本質のことに触れていたように思う。そしてそれは、あらゆることに共通しているような気がしてくる。へたでもいいから、本質をみろということ。
なによりも怖いものは人間です。このごろ公園でのできごとをみると、たしかにそうだなあと。
猫のヒジキが池に投げ込まれてしまった事件と前後して、ヒジキに餌をやっていた人がトイレに入っている隙に、猫の餌をやはり池に投げ込まれたのだそうだ。
そこまではいかないが、自分もそれと近いようなできごとには何度か出会った。そのたびに、その人の怒りや苛立ちが、小さな生きものや弱者に向かっているんだなあと思い、暗い底なしの淵を覗いてしまったような気持になる。そんなものは見たくはないが、見えてしまうようなできごとが続くと、人間不信に陥ってしまう。
けれども逆に、救われるようなできごともあるから、バランスを保てる。チビとまる子のことに関していえば、自分のほかにもサポートしてくれる人ができて、とても助かっている。週に一度、水曜日は餌やりをしてくれる方ができたし、午前中に行ってくれる人もでき、なにかあれば一緒に考えてくれる。
そして、市役所の対応も以前とは変わってきた。
ひょんなことから餌やりをせざるを得ない状況になった4年前には、窓口に開かれた感じはなかった。けれど、今は、とても協力的。置き餌や虐待、禁煙などの看板の設置などの相談にも乗ってもらえるようになった。もちろん、担当者の方がとても理解してくれているからということもある。
以前のイメージでは、市役所というところは、なにかの手続きをするための場所でしかなかったのに、ずいぶんとイメージが変わってきた。より親しみやすい場所になってくれればと願っている。安くはない税金を払っているのだから、利用できるところは利用しなくちゃね。
このごろの市役所には相談窓口もいろいろあって、生活のことや困りごとの相談にものってくれるようで、身近に相談できるものがいない人にはありがたいシステム。
人間て怖いなあと思うようなできごとに出会っても、一方で、やっぱり人間ていいなあと感じるできごともきっとあるのだから、たぶん大丈夫!