やってくる人、去って行く人。
その積み重ねが人生ですね。
そして、いつのまにか、やってくる人よりも去って行く人のほうが多くなっていく。
ひさしぶりに古墳の丘の上まで行き、欅の木の下の、チビとまる子がよく寝転がっていた石の上で、あの頃のように瞑想をしてみた。
心がなにやら落ち着かない時には、瞑想をすることにしている。
すると、やがて、閉じた眼の奥にやさしい光景が浮かんできて、気持のいい風に包まれる。
瞼に落ちる日差しの温かさに眼をあけると、そこには見慣れた風景が広がっていて、ほっとする。
そこに坐っていると、横にきて転がった猫たちの温かさを思いだし、そして、通りすがりに集まってきた人々の顔も浮かんでくる。
今もまだ会う人もいれば、いつのまにか顔を見なくなった人もいる。
おうい、みんな元気かあい?
昨日は天気も良く、日曜とあって、公園の広場にはさまざまな店が出ていた。
なかには、懐かしい人形を並べている店もあり、ふっと引き込まれる。
けれども、人形って、なんだか怖くてあまり買ったことはない。
今も、昔々に買ったぬいぐるみを捨てられずに、供養の方法をネットで探しているところだ。
可愛くて買ったのに、いつのまにか放りっぱなしになり、気づくとさみしそうな顔をしている気がするから、できるだけ買わないことにしている。
自分も打ち捨てられた人形のようにならないようにしないと、と思う。
でも、ときどき気分が落ちているときには、たぶんそんな状態に陥っている。
そういうときには、ある脳科学者が言っていたことを考える。
人の気持は脳が作る。そして脳も科学なんですよ、と、その人は言っていたのだ。
鬱になるときには、脳の成分、セロトニンというのが不足しているからだそうだ。
そうか、そう思えば、なんだか楽になる。
セロトニンが足らなくなっているだけなんだと。
セロトニンは、日光に当たることでも増えるという。
冬場の雪国では、お日様がなかなか出てくれないから、それで鬱になる人が多いのだという。
それを聞いて、あっと気づいた。
自分も山形にいるとき、毎日毎日、雪の片付けに追われ、クタクタになっていたころに鬱的状態になったからだ。
春になり、ようやくお日様が出てきてくれるようになり、ほっとして喜んでいると、またドカッと雪が降る。
そんなときには、特になりやすい。
あともう少しだと、そう期待した時にやられるのが、一番辛かった。
脳も科学なんだと知ってからは、調子が落ちてきたときには、「あっ、セロトニンが欠乏してるんだ」と思って、なるべく日に当たり、セロトニンに働いてもらうようにする。
というわけで、昨日はさんざん日を浴びて、山道を歩いて、そうして、いつもは我慢している甘いものも食べ、満足したわけです。
自分のまわりが空っぽになった気がするときには日差しの下に出て眼をとじ、手のひらをお日様に向かって開く。
風を感じながら、そうしているだけでも、じわりと温かくなってくる。
そうやって脳を鍛えていれば、さびしさも和らいでくるようだ。