ぼくのままで、私のままで。

一年前のまる子

ねえちゃんは、なにか隠そうとしたり取り繕うとしたって、みんなバレバレだよ。と、先日、妹が私に言った。冗談半分だったが、的を得ていた。同じ親のもとで生まれ、同じ釜の飯を食べ、同じ空気を吸って育ったきょうだいたちの言葉は、年月を経るといっそう身に染みる。

年の違いで、少しずつ時代がずれているにしても、みんなそれぞれ、芯のところに共通のものを持っている気がする。

上昇気流に乗ろう!

だが、相性もあって、つきあいかたもそれぞれ。けれど、みんなけっこう仲良しだ。だから言いたいことを言っても受け流せるし、なるほど、と思うこともある。

6人きょうだい

子供のときにはなにかにつけて激しいバトルを繰り返していたのだが、今では、それぞれが素のままでつきあえる。救われることも少なくない。まんま、自分になれる時間だ。

さて、このブログだが、チビもまる子もようやく安住の場所を得て一区切り。しばらくは、思いつくまま、のんびりとやっていこうかと考えているところだ。

そのまる子、昨日は誕生日のお祝いをしてもらったという。といっても、古墳の丘に捨てられていたまる子の誕生日はわからない。推定年齢が6歳ということだけだ。でも、まる子ママは、自分の誕生日とまる子の誕生日を重ね合わせたのだそうだ。なんとすてきな考え! まる子ママと知り合えたことも、チビとまる子から受けた恩恵の一つだ。

ハウスの片付けなども終わって、管理事務所の親方にお礼と挨拶を伝えたら、満面の笑みを返してくれた。いっとき彼は、チビまる子のハウスの撤去をしようとしていたから敵対関係にあったのだが、時がたつにつれて挨拶をしあう仲にまでなった。

チビが保護されてから一週間。まだケージの中だという。病院に行って検査をしてからケージから出すそうだ。それでストレスが溜まっているらしく、ケージの中の段ボールを破壊しているようだ。一年後のチビも、まる子みたいにハッピーになっているといいなあ。

そのことを願って、また、猫たちの写真

雨の日、あづま屋で箱座りのチビまる子

そしてこちらは、外に出たくてベランダから屋根へとよく逃亡していた三毛子。チビも、一番心配なのは、脱走だ。

一年前の三毛子
今年の三毛子

外に出ているときの三毛子はとても楽しそうだが、今は家の中くらし。外に猫がくると、その姿を追って一階から二階、ベランダと走り回っている。

このごろニャンコスターを見かけないので、気にしていたら、家の近くの道路脇にいた。なんだか以前よりも小さくなって、猫界の高倉健も少し威力を失っている様子。大丈夫かい? この子は近くの鉄板焼きの店の裏に居場所を持ち、餌をもらっている。

こちらは癒し系のトラくん。古墳の丘に行く途中の道をくねくねと登って行くと、トラくんがいるお寺さんがある。けれども、今はもういない。住職さんの話では、病気を持っていたというから、たぶん、虹の橋を渡ったんだろう。

一年前のトラくん

姫。今も、通ると、餌をねだってついてくる。

そして、ありし日のヒジキと、今でも元気なアズキ。ヒジキは池に投げ込まれて不幸なことになった。

こちらは、なっちゃん。名前をみるとメスのようだが、オス。とても人懐こくてみんなに人気があった。でも、この子も虹の橋を渡った。この1、2年で、公園の猫はかなり少なくなっている。そういう意味でも、チビまる子を保護できたのは幸運だ。

そして、隣りの家のモモ。三毛子が外に出ているときは、アソボ、という感じでよく三毛子を誘うようにして庭にきていたが、このごろは三毛子が外にで出られなくなって、なんだか、少し寂しそうだ。

猫たちの状況や様子は、時間とともに変わっていく。でも、猫たちはあっさりとした顔で、私のまま、ぼくのまま、という顔で今を生きている。猫って、やっぱり神秘で魅力だ。

私もまた、古墳の丘に通い、猫を通じてさまざまな人たちと知り合い、つぎつぎと起きる出来事におろおろしながら、怒りや喜びやうれしさを味わった。猫と一緒に、まんま、自分に戻れる大切な時間であった。

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。
購読料はかかりません。アドレスが公開されることはありません。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!