自分を肯定するには、過去の自分と仲良しになることじゃないのかな。
懐かしむというより、仲直りをすること。
ずっと、自分の過去にはあまりいい思い出がないと思っていて、引っ越すたびに、過去のものを思いきりよく処分してきた。
そうやって、過去を自分から無理に切り離そうとしていた理由に、今頃になって、はたと気がついた。
私はきっと自分が嫌いだったのだと。
だから、なにをしても自信を持てなかったのだ。
けれども、なんだかこの頃は、歳をとったせいなのか、あまりひたむきになれず、いい加減というか、破れかぶれというか、でも、その結果、気がつけば、ふっと気が楽になっていることに気づく。
なにをするにも自信が持てなかったのは、子供の頃のトラウマのせいもある。
それは、自分のせいではない。
防ぎようもないハラスメントは、自分に非があるのでは決してないのだと今は言えるが、それを受けたときは、なにをしてもミスをするのではないかと怯えていた。
それでも、こうやってここまできたじゃん。
ある日、なにげなくそう思えた。
うれしいのは、それまで黒い感情に覆われて見えていなかった、素敵なことや楽しかった時が蘇ることだ。
まるで、過去から飛んできた美しい蝶が肩にふっと止まってくれたような気持。
関わってきた事柄や人から受けたものは、悪いことのほうが印象が強いものだ。
そのせいで、いいことが見えにくくなってしまう。
けれど、視点を変えれば、いいことのほうが多いということに気づく。
心が波立つことが少なくなって、過去のハチャメチャだった自分も許せるようになる。
あたしもずいぶんとおバカだったのね、と笑ってやりたくなる。
そして、そのおバカな自分をかわいく思うようにもなってくる。
ああ、もうちょっと実直に生きていたならと、反省することはきりがないが、まあそれも自分なのだ。
全部ひっくるめて、まんま、自分を認めてあげると、ずいぶん楽になる。
過去を否定したり後悔するのはやめて、過去と仲直りし、自分を認めてあげると楽しくなるのは確か。
たとえ、なにもなくても、なにかできるはずだと思えてくるから不思議。
先日お喋りした人は、お金がないから何も楽しめないと嘆いていた。
お金で楽しめることはもちろんうれしいけれど、楽しいことは、みつけるものではないかしら、と、猫を見ていると、そう思う。