古墳の丘から下る坂道の、とある場所から見る富士は、上から見るのとはまたちがう感じ。片袖なんです。
写真にはあまりはっきりとは写っていないが、富士山の手前にある山々にも桜が点在し、遠く近く、桜と富士のコラボは、ほんとにきれいなんです。
そこのスポットに行く途中で、不気味な植物を見つけ、思わず立ち止まった。なに、これは。背中がザワツとした。
おそるおそる近づいて写真を撮り、調べてみるとマムシ草か浦島草のようだ。
二つはとても似ていて、たぶん浦島草だと思うが、これって、なんだかマムシが鎌首を持ち上げて攻撃してくるような感じにみえてくる。
古墳のあたりにはマムシが結構いるようだ。
実際、私も、去年の9月ごろ、こことは反対側の坂道の側溝にいたマムシに出会った。頭が三角で小判模様がくっきりしていて、赤っぽかった。
よくいる青大将は人が近づくとするすると遠ざかるようにしていくのに、このヘビはこちらをじっと見て今にも戦闘態勢。怖ろしいので、早々に退散したのだが、この鎌首持ち上げたような植物も、ぞっとするような独特な凄みを漂わせていた。
薄気味が悪くて足を速め、細い道を抜けると、急に視界が開け、片袖の富士山と散り際の桜がみえるところに出る。
なんだか後味が悪いので、帰りにツンデレたちに会いに行った。
すると、ご飯を終えて、三猫三様のおもてなし。
それぞれに名前がついているのだろうが、まだよくわからない。
じつはもう一匹、少し小柄の子がいて、そっちは後輩なのか、三猫に遠慮気味。
ぼくはね、先輩たちに気を遣ってるんだよ、という気配。でも、様子をみているといじめられている感じではない。階段を降りて行くと、今度はどこからかニャンという声。
まわりを見てもいない。気づかないうちに、私は木の上からじっと観察されていたらしい。
おまえは忍者か、木の上とはいいね。安全だし。これからもちょいちょいくるからね。そう言って別れた。
初対面にしては逃げなかったから、ちょっと親愛の情を感じてくれたのかな。
家に帰ってテレビをつけると、ウクライナの惨状がいきなり飛び込んできた。
眼をつむっても耳をふさいでも、やっぱりこれは現実に起きていることなんだ。
戦争は、ある日、突然、現実になるんだということを学んだ私たち。
画面の中、夫を亡くしたという年配の女性が叫ぶ。
「生きたいんだ、ただ生きたいだけなんだ!」
彼女の言葉が、ことごとく破壊された街の中に空しく響いた。犠牲は人間だけではないだろう。犬や猫たち、他の動物たちも。緑豊かな土地の植物も。
彼女の言葉は、そこで生きていたありとあらゆる生き物たちの声だ。
平穏な日常も、不気味な相手によって突然絶たれるかもしれない。そんな恐ろしさをつきつけられている。